内宮の摂社27社のうち第10位である。 寛文3年(1163)12月22日の摂社再興の際『延暦儀式帳』および『倭姫命世記』に御刀田(=神宮神田)と家田の堰(=楠部町尾崎)の存在が記されていたことから、旧社地を特定するのは容易であったと見られる。 神社の境内北側は五十鈴川が流れ、神社の前の道路は皇大神宮御常供田(神田)ヘの神事道である。 四郷小学校北、皇大神宮御常供田の北西に鎮座する。 境内には、同じく式内社 皇大神宮摂社・国津御祖神社が鎮座している。前の方の神社が大土御祖神社、 後ろの方が国津御祖神社である。 当社は皇大神宮摂社の中でも上位に位置し、恐らくは神宮の御常供田とも関係が深く稲作技術に勝れたこの土地の氏族が奉齋していた農耕神的な神と思われる。 垂仁天皇の御代、 倭姫命によって奉斎された神社となっている。 平田篤胤によれば、 大土の神というのは猿田彦神 (あるいはその子孫の大田命) のことで、 この神社はいわゆる宇治の狭長田を開拓したこの地の豪族猿田彦大神 (あるいは大田命) をお祭りした神社であるといっている。 儀式帳にも、 宇治土公氏の祖先である大田命がここで奉斎し、 御神田を献上されたことを記している。 『皇大神宮儀式帳』によるとかっては現在の七倍位の社域があつたようである。 特殊神事として県指定無形民俗文化財の御田植祭がある。 この行事は明治四年、一時中絶したが大正末期から復興された。 5月の神田御田植始式ではお田植が終わった後、この神社まで行列し、神前で稲作りの所作をする。 米俵が重いのでよろけるしぐさまであってなかなか芸が細かい。 最後に田植えで使われた大団扇を見物人も一緒になって奪い合いをし、切れ端を縁起ものとして持って帰る。 |
大土御祖神社 大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ) 皇大神宮摂社 大国玉命(おおくにたまのみこと) 水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと) 水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと) 祭神は神田のある土地を守る神、大国玉命と二柱の水の神、水佐佐良比古命と水佐佐良比賣命。毎年5月中旬の神田御田植初の折に、奉仕者により社前で田舞が奉納される。末社の宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。奥の神社は国津御祖神社である。 神宮会館 |
大土御祖神社 大土は於保都知、御祖は美於夜と訓べし、〇祭神大國玉命、水佐々良比古命、佐々良比売命、○宇治郷楠都村に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第七に戴す、○儀式帳云、称國生神児大國玉命、次水佐々良比古命、次佐々良比売命、形石坐、倭姫内親王定祝、 神社覈録 |