御食神社
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   【延喜式神名帳】御食神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】御食神社
   【住所】三重県伊勢市神社港字南小路1
       北緯34度30分43秒,東経136度44分12秒
   【祭神】大御食津臣命
   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】旧村社
   【由緒】倭姫命定祝
       中世廃絶
       寛文3年にこの地に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地とする

   【祭祀対象】大神宮に海産物の御料を調進した御饌の神
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

外宮の摂社16社のうち第15位である。
伊勢市神社港の一色大橋の足元、少し北の集落内にある。
地元の産土神として奉祀され、他の神宮摂社末社とは社頭の趣は少し異なる。
域内に「辰の井」という井戸があり、この水が倭姫命に奉った御水と伝えられる。また火災除けの信仰があつい神社でもある。
創立については、 大神宮本記に、 倭姫命、 皇大神を奉じて各地を巡りしとき、 忌楯小野よりいでまししに、 小浜のほとりに鷲取老翁あり清水をささげた。 命これをほめたまい、 水門に水饗の社定めたまいし、 と伝えている。
境内の池(堀)は、 以前は潮が出入りした入江の遺溝である。 大神宮に海産物の御料を調進した御饌の神を祭る神社である。 延喜大神宮式に御食社 斎宮式に御饗社 神名帳に御食神社とある。 外宮の摂社であるが、 神社町の産土神として祭られている。 戦国時代に社地がなくなり、 寛文3年にこの地に再興した。 境内に 「辰の井」 というのがあるが、 上記の清水の出た井戸という。 一月の初辰の日には、 水をもらう人で賑う。 神社町は、 江戸時代から遠州、 三河、 尾張からの参宮客で賑い、 小さい町であるが酒楼、 旅館、 遊廓が多く、 その名残は戦前まで続いていた。


御食神社

御食神社(みけじんじゃ) 豊受大神宮摂社
水戸御饗都神(みなとのみけつかみ)
祭神は神社(かみやしろ)の港口から御料を調進する御饌(みけ)の神、水戸御饗都神。水戸は水の入り込んでいる港のこと。地元の産土神として奉祀され、他の神宮摂社末社とは社頭の趣は少し異なる。域内に「辰の井」という井戸があり、この水が倭姫命に奉った御水と伝えられる。また火災除けの信仰があつい神社でもある。

神宮会館



神社港歴史散策ガイド

御食神社(辰の宮)
外宮摂社であり、神社港の氏神です、寛文3年(1664)330年前に再興された。
貞享元年(1684)310年前に氏神となった。
祭神は速秋津比子命
   速秋津比売命の二柱を祀る。
中世の竜神信仰に結びついて地元は「辰の宮さん」「辰神さん」と親しんでいる。正月早々の辰の日に辰の井のお水を受ける信仰が残っている。火難水難を除くという初辰行事です。

社頭掲示板



御食神社

御食は美氣と訓べし○祭神大御食津命○箕曲郷大口村(今云、神社村、)に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)渡会宮所摂十六座の第十六に載す、○倭姫世記云、爾老爾、何処吉水在問給支、其老以寒御水御饗奉支、于時讃給、其水門爾、水饗神社定賜支、」御鎮座本紀云、中臣祖大御食津命、坐度相郡、號御食社、』外宮儀式帳、祭水戸御食都社、

神社覈録



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