内宮の摂社27社のうち第14位である。 五十鈴川を挟んで、内宮の対岸にある。 すぐ南隣に、饗土橋姫神社が鎮座している。 津長とは五十鈴川の洲長 (すなが) になったところからきた地名といわれている。 昔、五十鈴川をさかのぼってくる船の船着き場があったところと伝わる。 『皇大神宮儀式帳』に「坐地三町」と記し広大なな社域であつたことが窺われる。 中世の神宮行事に関する貴重な記録である『皇大神宮年中行事』には神事場が五十鈴川の岸辺に近かつたことが読みとれる。 何時しか神宮の衰微に伴って社殿は廃絶した。社地は畑となってしまった。 寛文3年再興した。 橋姫社近傍(宇治橋前のロータリー)にあったに川端屋と云う商人の家があり、その裏屋敷に約三尺程の石積があつて石神が祀られていた。ここを津長社の旧地であると伝える説もある。 |
津長神社 津長神社(つながじんじゃ)皇大神宮摂社 栖長比賣命(すながひめのみこと) その昔、五十鈴川の船着き場があり、津長原といわれていた。 末社の新川神社(にいかわじんじゃ)祭神は新川比賣命(にいかわひめのみこと)と石井神社(いわいじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。 祭神は水の神 神宮会館 |
津長大水神社 津長は都奈賀と訓べし、大水は前に同じ、〇祭神津長比女命、〇宇治郷大水社の北に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第十一に載す、○倭姫世記云、其処乎朝御食夕御氣島定支、還幸行、其御船泊留在志、処乎、津長原止號支、其処爾津長社定給支、」儀式帳去、称大水上児栖長比女命、形石坐、倭姫内親王代定祝、 神社覈録 |