内宮の摂社27社のうち、第27位である。 三瀬川の宮川に臨む右岸の断崖の上に鎮座。谷を下った河原の中間にあり、境内には巨木が多い。 第11代垂仁天王の皇女倭姫命が、御杖代として天照坐皇大御神を奉戴して、宮川下流の磯宮を発ち、上流の方に御鎮座の地を求めて行くと、砂をも流す急流の瀬があり困っていた。その時真奈胡神が出迎え、お渡し申し上げた。 そこで命はそのところに真奈胡神をまつる御瀬社を祀った。 当社の祭神は麻奈胡(マナコノ)神である。この麻奈胡は小石を意味し、当社が瀧原宮に近いことより、この神が瀧原神の御子神、つまり眞之子の義とする。 現在の多岐原神社は、寛文3年(1663)、時の大宮司大中臣精長(きよなが)によつて再興されたもので、現社地が嚴密に往古の地そのものであるかどうかは検討を要する。が、しかし、倭姫命の宮川渡河が当社創建の由来であること自身、当社と宮川の渡し場との密接な関係を伺わせるものであつて、社前を旧熊野街道が通り、その道を150m程で宮川の三瀬の渡しに出ることを考えると、やはり現社地付近に往古の社地を比定して良いであろう。 |
多岐原神社(たきはらじんじゃ) 皇大神宮摂社 真奈胡神(まなこのかみ) 祭神は倭姫命が宮川を渡るのをお助けした土地の神、真奈胡神。地元では祭神から「真奈胡さん(まなこさん)」といい、信仰のあついことで知られる。ここから三瀬坂峠(みせざかとうげ)を越えて瀧原宮の方へ出るのが熊野古道(約1時間)である。社頭には常夜燈2基があり、紀州藩が享保甲辰(1724)に建てた禁殺生石がある。宮川本流の右岸にあって、社域は山水の美を兼ねそなえた地である。 神宮会館 |
三瀬の渡し(みせのわたし) 『こめはば』を代表する双子岩から約500m下ったところに通称トウケンと呼ばれている大きな岩がありこの付近が三瀬の渡し場。滝原宮の三大祭に、伊勢神宮の幣使の一行(約150人)は対岸三瀬川へ渡る時、宮川を眺め一服した腰掛け岩が渡し上方にあった。渡しの料金は一人六文、三瀬氏の収入源とされた。 社頭掲示板 |
多伎原神社 多伎原は多支波羅と訓べし○祭神麻奈胡乃神○宮川上三瀬村に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第廿三に載す、○倭姫世記云、從其幸行奈留、御饗奉神参相支、汝国名何問給、白久、白濱真名胡国中、其所眞名胡神社定賜支、」儀式帳云、瀧原神社、称麻名胡乃神、形石坐、倭姫内親王代定祝、 連胤云、多伎原と真名胡は、同社異名といふ証はなけれど、考へ合せて当社に附属す、 神社覈録 |