草奈伎神社
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   【延喜式神名帳】草名伎神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】草奈伎神社
   【住所】三重県伊勢市常磐1-1142
       北緯34度29分41秒,東経136度41分42秒
   【祭神】標劔仗神(みしるしのつるぎのかみ)
       『神名秘書』「草薙劔座」
       『類聚神祇本源』「標剣伏」
       『延喜式神名帳僻案集』「草薙劔ノ説未審」
       『神覈録』祭神詳ならず

   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】豊受大神宮摂社の第一位
   【由緒】早く廃絶し所在不明となつた
       正保2年(1645)禰宜度会(桧垣)常晨によつて再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初の鎮座地とされるが異説もある
        正保2年(1645)禰宜度会(桧垣)常晨によつて再興

   【祭祀対象】
   【祭祀】早く廃絶し、再興
   【社殿】正殿神明造板葺
       玉垣御門(猿頭門、扉付)・玉垣(連子板打)・鳥居

   【境内社】

外宮の摂社としては第1位。
承元4年(1210年)にそれまで外宮摂社の第1位であった月夜見宮が別宮に昇格して以降、当社が摂社の第1位となった。
JR参宮線山田上口駅の南南に大間国生神社と同域内、西側に祀られている。
祭神は御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)。外宮の祭祀を司ってきた度会氏の遠祖である大若子命が垂仁朝に越国の阿彦を平定する際に使った[1]剣の霊であるという。
外宮摂社の第一として尊崇せられて來た。他の摂社と異なり、外宮摂社中では唯一、各祭典とも必ず神職が参向して奉仕し、遙祀によらず執行されている。
早く廃絶し所在不明となつたが、他の摂社より早く正保2年(1645)禰宜度会(桧垣)常晨によつて大間社とともに再興せられた。
祭神は標劔仗神(みしるしのつるぎのかみ)とされ、度会氏の祖、大若子命がこの剣を賜り、越の国の阿彦という賊を平らげ、大幡主命の名を賜ったと伝わる。


草奈伎神社

草奈伎神社(くさなぎじんじゃ) 豊受大神宮摂社
御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)
祭神は剣の御霊、御剣仗神。各祭典とも必ず神職が参向して奉仕されることは、皇大神宮における朝熊神社と同じである。社域に入いり、向かって右の神社は大間国生神社である。神社西側の道路、JR山田上口駅前から続く楠の並木は、昭和34年(1959)北朝鮮に集団帰国した方々が記念に植樹したものである。

神宮会館



草名伎神社

草名伎は久佐奈岐と訓べし○祭神詳ならず○沼木郷山田村大間社地内に在す○式四、(伊勢大神宮)度会宮所摂十六座の第二に載す、○神名略記云、垂仁天皇御賜之標劔仗、後世因日本武尊之故事、以草薙為名乎、旧趾不詳、今建大間社地内西、
類社
駿河國有度郡草薙神社、同国蘆原郡久佐奈岐神社、

神社覈録



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