集落の奥叢林の中にある。 内宮の摂社27社のうち第5位である。祭神は農家の守り神と伝えられる。田乃家というのは田の戸、すなわち御田を耕作する民戸のことである。この神社のある矢野地区は皇大神宮御料田を開拓した荒木田二門の有力な祢宜の里であった。 社名の「田乃家」(たのえ)は、「田の上」という地形説、「田邊郷」という地名説、「田戸」(公田のそばに住む人々の代々の田や戸)説がある。 中世廃絶して社地も不明となつていた。 寛文3年(1663)9月8日に、当時の大宮司河辺精長により現在の地に再興された。 この社地を掘れば鳥居の跡と考えられる二尺程の丸い石や、白石が多数出土したのでこの地を社地と認めている。 神体は鏡である。 |
田乃家神社 田乃家は多乃倍と訓べし、和名鈔、(郷名部)田部、(仮字上の如し)○祭神大神御滄川神○城田郷矢野村に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第四に載す、○儀式帳云、田邊神社、称大神御滄川神、形鏡坐、大長谷天皇御宇定祝、 類社 近江國高島郡田部神社 神社覈録 |