多賀宮
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   【延喜式神名帳】高宮(大 月次/新嘗) 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】多賀宮
   【住所】三重県伊勢市豊川町  豊受大神宮域内
       北緯34度29分7秒,東経136度42分14秒
   【祭神】豊受大神荒御魂
   【例祭】10月16日 神嘗祭
   【社格】豊受大神宮別宮
   【由緒】雄略天皇22年(478)鎮座
       南北朝以後衰退、個人の篤志による仮殿遷宮が時折行われるのみ
       寛永8年(1613)8月正遷宮、以後式年の造替に復した

   【関係氏族】
   【鎮座地】雄略天皇22年(478)鎮座

   【祭祀対象】
   【祭祀】古代より継承されている
   【公式HP】 多賀宮
   【社殿】正殿
       瑞垣御門・瑞垣・玉垣御門・玉垣・握舎

   【境内社】

豊受大神宮の大前の御池にかかる石橋を渡ると左手に風宮右手に土宮が鎭座している。その正面中央の石段(九七段)を登つたところ、高倉山の尾にあたる山上に鎭座する。
雄略天皇22年(478)、天照大神の託宣によつて、豊受宮(度会宮)が山田原に鎮座された時、その豊受大神の荒魂として同時に祀られた。
豊受大神宮の第一の別宮として正宮についで尊崇されてきた。神宮諸祭の祭儀にあたつては正宮の奉仕後引続き斎行され、勅使も参向し奉幣の儀も行われる。
神宮における20年毎の式年遷宮においては、当宮は正宮と同様に斎行される。
古来社殿の造替は、中央の造宮使に依るものであつたが、南北朝以後衰退し、個人の篤志による仮殿遷宮が時折行われるのみであつた。


由緒

一、宮名とご祭神
 多賀宮(たかのみや)
 豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)
ニ、ご鎮座地
 豊受大神宮大前の御池にかけられている亀石を渡ると、右手に土宮、左手に風宮が見えて参ります。それを過ぎ、正面の98段の石階を上がると、檜尾山に南面して、外宮の第一別宮である多賀宮がご鎮座になっています。
三、ご鎮座の由来と沿革
 『延暦儀式帳』に「高宮一院 等由氣太神宮之荒御玉神也」とみえ、古来高宮とも称されております。恐らくは小高い丘の上にご鎮座になっていることからそう呼ばれたのでしょう。ところで、豊受大神宮別宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の4宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮(とゆけのみや)儀式帳』および『延喜神名式』に記載がみえる別宮で、他の3宮が後年宮号宣下により別宮に列せられたことに比すれば、一際格式が高く、しかも皇大神宮の荒祭宮同様、外宮の第一別宮として古くより特別な待遇を受けて参りました古社です。
 さて、当宮の淵源を尋ねると、今から凡そ1500年前、第21代雄略天皇の御代22年に天照坐皇大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌(みけ)つ神として迎えられ、豊受大神宮が創立された際、多賀宮も同時に奉斎されたと伝えられています。
 14別宮のうちで荒祭宮同様殊に重きが置かれ、20年1度の大祭である式年遷宮でもこの2宮だけは正宮に引き続き真っ先に斎行されます。また、勅使参向の際は恒例祭と臨時祭とをとわず正宮の祭典終了後ただちに幣帛が奉られることからもその重要性が容易に推察頂けるでしょう。
 現在は、農事に携われる方はもちろんのこと、産業全般にわたって従事される方々の篤い崇敬を集めております。

HP




高宮

高宮 大月次新嘗
高は多賀と訓べし、亦は多賀宮とも称す○祭神伊吹戸主神(豊受大神荒魂)○大神宮南六十丈に在す、(神名略記)大神宮式云、去大神宮南六十丈、〇御鎮座次第記云、止由気大神荒魂、亦曰伊吹戸主神是也、御霊形鏡坐也、」外宮儀式帳云、管高宮壹院(止由氣大神宮之荒御玉神也)
把笏
文徳実録、天安元年9月壬寅、伊勢国高宮神宮内人一人、始預把笏
月糧
三代実録元慶3年閏10月19日乙巳、伊勢高宮物忌准諸宮物忌、永充月糧、以神封物給之、
前件高宮及土宮、月読宮、風宮、(三社は式外也)等を度会宮別宮四処と称す、〇高宮造替以下の事、式、儀式帳、其外神宮の諸書を見るべし

神社覈録



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