月読荒御魂宮
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   【延喜式神名帳】月読宮二座(荒御魂命一座 並大 月次/新嘗) 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】月読荒御魂宮
   【住所】三重県伊勢市中村町字向垣内724-1
       北緯34度28分24秒,東経136度43分44秒
   【祭神】月読尊荒御魂
   【例祭】10月19日 例祭
   【社格】皇大神宮別宮
   【由緒】神護景雲3年(769)2月社名記載有り『続日本紀』
       宝亀3年(772)8月 これ以前に官社『続日本紀』
       延暦23年(804)社名記載有り『皇大神宮儀式帳』
       仁寿3年(853)洪水によつて流出
       斎衡2年(855)9月移造
       貞観10年(868)当宮は宝殿を増作したが、荒魂命社は増作無し
       中世荒御魂は小殿と称されていた
       その後荒御魂は衰微した
       明治6年12月「月読荒御魂宮」として「月読宮」の東方に再建
       明治6年現在の地に四宮の鎭座

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は現在地の北方、久世戸坂下の二光の森と伝わる
        仁寿3年(853)洪水によつて流出し現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】皇大神宮別宮として祭祀は継承
   【公式HP】 月読宮
   【社殿】正殿
       正殿・瑞垣御門・瑞垣・鳥居・握舎

   【境内社】

「月読宮二座」は、現在は「月読宮」と「月読荒御魂宮」の二宮となつている。皇大神宮別宮。
五十鈴川駅の南、御幸道路と23号線に挟まれた場所にある。
西から、皇大神宮(内宮)の別宮の四宮が、伊佐奈彌宮・伊佐奈岐宮・月読宮・月読荒御魂宮と並ぶ。
お白石(しらいし)といわれる白い石が敷き詰められた御垣内に、素木のシンプルな建物が映えている。
20年一度の神宮式年遷宮においては正宮に准じて斎行される。 
仁寿3年(853)、当宮は洪水によつて流出し現地へ遷という、それ以前の旧地は現在地の北方、久世戸坂下の二光の森と称されているところと伝わる。
別宮の「宮」は宮号(きゅうごう)と称し天皇の思し召しにより古くは勅書をもって、のちには官符をもって定められ、これを「宮号宣下」という。
中世においては、当社の荒御魂は小殿と称されていたやうであるが、その後退転衰微したものの如くで、明治6年7月、その再興の議が起り、同12月「月読荒御魂宮」として「月読宮」の東方に造立された。



由緒

皇大神宮別宮 月讀宮以下四別宮
一、御祭神
四宮とも南に面しておまつりされています。
東から西へ順次、宮名と御祭神を申し上げますと、
月讀荒御魂宮 月讀尊荒御魂A
月讀宮    月讀尊@
伊佐奈岐宮  伊弉諾尊B
伊佐奈弥宮  伊弉冉尊C
となります。ご参拝は@からCへと順にされるのが一般です。
二、御鎮座地 伊勢市中村町
外宮と内宮を結ぶ県道(御幸道路)の中間、道路沿いのこんもりと茂った森の中に御鎮座になっております。
外宮から3.8km、内宮から1.8kmの位置にあります。また、裏参道囗には国道23号線が通っています。外宮・内宮循環バスをご利用の場合は、停留所「中村」で下車、北へ向って徒歩約五分で、参道入囗に達します。また近鉄五十鈴川駅からは、南へ徒歩約十分のところにあります。
三、御鎮座の由来
月讀宮におまつり申し上げる月讀尊は天照大御神の弟神であります。外宮の別宮月夜見宮の御祭神と御同神でありますが、月夜見宮では「月夜見尊」の文字が用いられております。
月讀尊の御事については、日本書記(元正天皇養老4年(720)奏進)
の上巻に、伊邪奈岐命・伊邪奈美命二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにと、ご委任になられたと記されております。
また、日本書紀では、月讀尊はその光彩(ひかりうるわしいこと)が、天照大御神に亜ぐものであるとたたえております。天照大御神の御神徳は、「その光華明彩(ひかりうるわしいこと〕、六合の内に照り徹るほどでございます」と、太陽にたとえて表わされておりますので、月讀尊の御威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、おたたえしたものと拝されます。
皇大神宮の第一の別宮である荒祭り宮 皇大神宮神域に御鎮座 に、天照大御神の荒御魂がまつられ、豊受大神宮の別宮多賀宮に豊受大御神の荒御魂がまつられておりますように、月讀宮にならんで、月讀尊荒御魂がまつられております。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を「和魂」と申し上げるのに対して、時にのぞんで格別に顕著な御神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂」とたたえます。 伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮におまつり申し上げる伊弉諾尊、伊弉冉尊二柱の神は、大八洲国即ち日本の国土及び山川草木をお生みになられたのち、天の下の主たる天照大御神をお生みになり、つづいて月讀尊をお生みになられた二柱の御親神でありますことは、申すまでもありません。
以上の四別宮の御神名には「尊」の文字が用いられておりますが、これは、日本書紀巻第一で、神々の御事をのべるにあたり、「至って貴きを尊といい、そのほかを命という」と注記しているもので、日本書紀の文字づかいに従っております。
次に「別宮」と申しますのは、本宮との間柄を示す御称号でありまして、皇大神宮、豊受大神宮を「本宮」とするのに対し、あたかも本家に対する分家の意味で、別宮と称するものであります。
別宮の「宮」は宮号と称し、天皇の思し召しにより、古くは勅書をもって、のちには官符をもって定められたものであります。これを「宮号宣下」と申します。
神社に御称号をたてまつることは御祭神の御神威の輝きによります。これを敬うこといよいよあつければ、神の御稜威も一層輝きをますものであります。
月讀宮以下四所のみやしろは、第50代桓武天皇延暦23年(804)に、神宮から上進した「大神宮儀式帳」には、「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣内にまつられておりました。すなわち、四宮あわせて月讀宮とよばれました。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されましたのは、第56代清和天皇貞観9年(867)8月のことであります。
第60代醍醐天皇延長5年(927)に、有名な「延喜式」が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月讀宮、月讀荒御魂宮が一院を形成しておりました。
現在、拝するように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からであります。
続日本紀巻三十二に、「光仁天皇宝亀3年(772)8月の条には月讀神の御神威をかしこみ、その年の9月の神嘗祭から毎年の神嘗祭には内宮の荒祭宮に准じて、神馬を奉ることになった」と、あるのをはじめとして、朝廷の御尊崇の事実は、枚挙にいとまありません。 延喜大神宮式に、この四所の別宮に対し、幣帛を「祈年、月次(6月、12月)、神嘗の御祭に供えよ」と、あるのをはじめとして今日においても、年中恒例および臨時のお祭は、正宮についで鄭重に奉仕されております。
四、恒例のお祭
当宮は、正宮に準じて、鄭重にお祭が奉仕され、祈年祭(2月)、月次祭(6月、12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)の諸祭には、皇室からの幣帛がたてまつられます。
1月1日  歳旦祭
1月3日  元始祭
2月11日 建国記念祭
2月18日 祈念祭
5月14日 風日祈祭
6月18・19日 月次祭
8月4日 風日祈祭
   18 午後10時由貴夕大御饌
10月 日  午前2時由貴朝大御饌  神嘗祭
19    午前10時奉幣
11月24日 新嘗祭
12月18日 月次祭
19 午前10時奉幣
12月23日 天長祭
五、式年遷宮
20年毎の式年遷宮も、内宮とご同様に奉仕され、その日時は天皇陛下のお取り定めを仰いで、決められるならわしであります。この度の式年遷宮は、平成6年10月に行われました。
御社殿は南に面し、その構造は、内宮に準じ、神明造りで、お屋根は萱葺、鰹木は六本、東西両端には、内宮と同じく内削ぎ(水平切)の千木が高くそびえ、周囲には瑞垣をめぐらし、瑞垣御門と鳥居があります。
遷宮のための御敷地は、内宮、外宮および諸別宮とも、東西にならんでおりますが、当宮に限り、地勢の関係から、南北に設けられております。
宿衛屋では、御神楽、御饌の取り次ぎ、また大麻・守祓の授与、参拝証印の押捺等をお取り扱いしております。

由緒書



月讀宮

ご鎮座地
 外宮と内宮を結ぶ県道(御幸道路)の中間、道路沿いのこんもりと茂った森の中にご鎮座になっています。外宮から3.8km、内宮から1.8kmの位置にあります。また、裏参道口には国道23号線が通っています。
 外宮・内宮循環バスをご利用の場合は、停留所「中村」で下車、北へ向って徒歩約5分で、参道入口に達します。
 また近鉄五十鈴川駅からは、南へ徒歩約10分のところにあります。
ご鎮座の由来と沿革
月讀宮におまつり申し上げる月讀尊は天照大御神の弟神です。外宮の別宮月夜見宮のご祭神とご同神でありますが、月夜見宮では「月夜見尊」の文字が用いられています。
 月讀尊の御事(おんこと)については、『日本書紀』(720)上巻に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)2柱の御親(みおや)神が、天照大御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国(よるのおすくに)をお治めになるようにと、ご委任になられたと記されています。
 皇大神宮の第一別宮である荒祭宮(皇大神宮神域にご鎮座)に天照大御神の荒御魂がまつられ、豊受大神宮の第一別宮の多賀宮に豊受大御神の荒御魂がまつられていますように、月讀宮にならんで、月讀尊荒御魂がまつられています。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます。
 伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮におまつり申し上げる伊弉諾尊、伊弉冉尊2柱の神は、大八洲国(おおやしまのくに)即ち日本の国土及び山川草木をお生みになられたのち、天(あま)の下(した)の主(きみ)たる天照大御神をお生みになり、つづいて月讀尊をお生みになられた2柱の御親神です。
 月讀宮以下4所の宮は、神宮から上進した『皇太神宮儀式帳』には「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣(みずがき)内にまつられていました。すなわち、4宮あわせて月讀宮とよばれました。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されましたのは、第56代清和天皇の貞観9年(867)8月のことです。 第60代醍醐(だいご)天皇の延長5年(927)に、古代の最終的法律体系である『延喜式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月讀宮、月讀荒御魂宮が一院を形成していました。
 現在、拝するように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。

公式HP



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