売沼神社
めぬまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】売沼神社 因幡国 八上郡鎮座
          (旧地)売沼神社【旧地嶽古墳】

   【現社名】売沼神社
   【住所】鳥取県鳥取市河原町曳田169
       北緯35度23分23秒、東経134度11分33秒
   【祭神】八上比売神
       (合祀)伊弉册尊 保食神 建御名方神 高オカ神 闇オカ神

   【例祭】10月第1日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年代不詳
       古代中世の記録は詳らかでない
       元禄年間(1688−1704)西の日天王から売沼神社と復称
       天明8年(1788)9月藩主武運長久の祈願
       寛政元年(1789)藩主社号の額一面寄進
       寛政6年(1794)9月社殿再建
       文政11年(1828)藩主祈祷
       昭和5年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は簗瀬山の中腹
        現社地より一町許り上の小高き所に遷
        さらに現鎮座地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八上売神社」「西の日天王」と称していた
   【社殿】本殿流造柿葺
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所

   【境内社】熊野神社・諏訪神社

曳田川の対岸、簗瀬山(283m)の中腹に八頭郡最大といわれる、全長約50mの前方後円墳があり。被葬者は八上比売ともいわれている。その古墳の下方に旧社地があつたという。
当初初社地は簗瀬山の中腹にあり、それが現社地より一町許り上の小高き所に遷られ、さらに現鎮座地に遷られたものと考えられる。


売沼神社

式内社 売沼神社
一、祭神八上姫命
由緒「延喜式神名帳」に「八上郡賣沼神社」とある神社でありまして、中世より「西日天王」といっておりましたが、元禄年間よりもとの賣沼神社という名にかわりました。御祭神は「八上姫神」でありまして御祭日は十月一日を大祭としております「古事記」の伝えるところによると、出雲国の大国主神は八上姫神をオキサキになさろうとしてこの因幡国にお出になりました。途中で白兎の難をお救いになりまして、この白兎神の仲介で八上姫神と首尾よく御結婚になりました。この神話伝説は漂着した外地の舟人たちが千代川をさかのぼって、まずこの曳田郷をひらいたことに間違はありません。対岸山麓の前方後円墳を神跡とするのも決して単なることとは云えないようであります。

社頭掲示板



売沼神社

「売沼神社(めぬま)」
大国主命は八十神(やそかみ)というお兄さん達がいました。
八十神は、因幡の国に美しい八上姫がいることをきき、求婚する為にこの地に来ました。 その時、荷物全部を大国主命に持たせていたのです。
砂浜で、八十神は隠岐の島から逃げてきた白兎を困らせたのですが、大国主命はその白兎を助けました。
すると白兎は予言するのです。 「八上姫と結婚するのはあなたです」と。 その後、2人は結ばれたのです。
八上姫は河原町の人と伝わり、ここは「八上姫」を祀っているのです。

八上姫公園説明碑



売沼神社

延喜式神名帳に『八上郡 売沼神社』とある神社でありまして、中世より“西日天王”といっておりましたが、元禄年間(1688--1704・江戸中期)より元の売沼神社という名にかわわりました。御祭神は“八上姫神”で、御祭日は10月1日を大祭としております。
 古事記に伝えるところによると、出雲国の大国主神は八上姫をお后になさろうとして、この因幡国にお出でになりました。途中で白兎の難をお救いになりまして、この白兎神の仲介で八上姫と首尾よくご結婚になりました。
 この神話伝説は、漂着した外地の舟人たちが千代川をさかのぼって、まず、この曳田郷を開いたことに間違いはありません。対岸山麓の前方後円墳を神跡とするのも決して単なることとはいえないようであります

社頭掲示板



売沼神社

延喜式所載の小社なり、因幡誌に「売沼神社、曳田郷曳田村西の日天王是なり按するに売の上に此の字ありしを延喜式に脱したりと見ゆ、当社は先代旧事本紀及び古事記等に載する八上姫の神跡是なり」と見え、神代の昔より大国主尊との間に於て古き歴史を有する八上姫尊の神跡なり中世より西の日天王と称へしが、元禄年間より旧号売沼神社と復称す、降りて明治元年8月当村字原山鎮座熊野神社(祭神 伊弉冉尊 ) 同村字引野山鎮座諏訪神社(祭神 建御名方神) 同村字下モ土居鎮座貴布禰神社(祭神 高おかみ神)の四社を合祀し、明治5年10月郷社に列格せられ、同40年3月16日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

鳥取県神社誌



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