本殿後丘「亀金山」は祭神武内宿禰命昇天の地とし、双履石と呼ぶ磐境がある。 中世社殿壮麗を極め、近郷の地神領ならざるはなし、と称せられたが、戦国末期の羽柴秀吉鳥取城攻略の戦火に罹り、すべて災上した。 |
由緒 宇倍神社(因幡一の宮) 國幣中社 岩美線国府町宮の下 山陰本線 鳥取駅より4Km 祭神 武内宿禰命 例祭 4月21日 神紋 亀崩し 本殿 6坪半 境内 6400坪 摂末社 一社 宝物 宇倍神社縁起書、八幡縁起絵巻物、秀吉佩刀、絵画、刀剣類(池田侯寄進)、因幡誌原本、平安鏡、陶器、玉、剣類(境内よりの出土) 氏子 400戸 神事と芸能 神輿渡御祭の時代行列、キリン獅子(県無形文化財) 由緒沿革 式内名神大社、因幡国一の宮。明治4年国幣中社に列した。風土記に武内宿禰命垂跡也。仁徳帝治55年春3月当国御下向とある。現に本殿の後阜亀金岡の雙履石は即ち御祭神の雙履を残された霊跡である。社殿の創建、諸社根元記に孝徳天皇大化4年造社壇と見える。古来日本最初の大臣最高の長寿の神として著名、当社は因幡国府の中心、百人一首所載の稲葉山麓に位置し古代文化遺蹟の中心地である 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宇倍神社 御祭神武内宿禰命は上古、景行天皇以下5朝の天皇に歴任され、奥羽から九州の果てまで東奔西走、日本の発展に努力され、さらに神功皇后を御助けして日本の統一に尽力されました、また応神天皇の御成長を見守られながら大陸文化を導入され平和と繁栄の礎を築き国の功神としてわが国最初の大臣とされました。 武内宿禰は仁徳天皇55年因幡国に下向され御社背後の亀金岡にて双履を残し、360余才を以て昇天されました。 この由緒を以て創建された宇倍神社は平安時代には名神大社、因幡国一宮として尊崇され、明治4年には国弊中社に列せられました、また明治32年、現在の御社殿新築のおり命の御尊像と共に当社全景が全国で最初に紙幣に載せられ、以後大正、昭和と5円、1円紙幣で広く国民に親しまれてきました。 古くから福徳長寿、厄除けの神として、また病気平癒交通安全や子どもの成長を祈り、さらに志をうち立てる社として広く崇敬されております。 社頭掲示板 |
双履石 御祭神「武内宿禰命」は第十二代景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国づくりに御活躍の後仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡に双履を遺し齢三百六十余歳にてお隠れになりました。 その石を双履石と称し命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です。 社頭掲示板 |
宇倍神社 因幡一ノ宮 宇倍神社 ご祭神 武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと) 由緒お金にご縁の神様当社は、孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられ、延喜式では県下唯一の名神大社、また一の宮として崇敬篤く、明治4年には国弊中社に列せられました。現在の社殿は、明治31年に完成しましたが、翌32年には全国の神社で最初に、命(みこと)の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となりました。 おかねに御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣が絶えません。 社頭掲示板 |