社伝によれば、住吉大神の守護によって三韓征伐を為し遂げた神功皇后が、その帰途現在の壱岐市郷ノ浦町大浦触に上陸して三神を祀ったのに始まるという(これを以て「日本初の住吉神社」を称している)。その後、神託により「波の音の聞えぬ地を揮びたまふに依り」現在地に遷座した。 |
由緒 住吉大神は、伊弉諾大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓い給いし時生れ出で坐せる海洋守護の御神徳顕著なる大神にして、神功皇后三韓を御親征の際、御示顕に相成り、皇后は御神託に依って、船上に御鎮斉あらせられしに、大神の和魂は玉体を守護し、荒魂は其の先鋒となりて舟師を導きて霊験を顕し給い、刃に血ぬらずして三韓を征し給う。 又、八千戈神は又の御名を大国主神とも国造大巳貴神とも称奉りて、天の広戈を執りて国土を経営し天下を平定し給ひし武勇の神に坐せり仍て御凱旋の御砌舟師を御津の浜に駐め給い、鎮護の神として御親祭あらせられ、外敵国降伏の為、軍越神事を定め、臣安倍介麿に壱岐島を賜い大宮司として、その子々孫々をして、永く奉仕せしめ、異敵降伏国家安泰の神秘を行う軍越神事の秘法を伝えしめ給う。 後御神託に依りて、今の社地に遷座し奉れる由緒伝に記されたり。 其の如く「住吉大神は海路船舶の往来を守護し給う大神にてあらせらるるを以て、世に舟魂の神とも称奉り、毎年9月1日海鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり。相殿に坐す八千戈神は、天神の勅を奉じて天下を巡周し給い、村邑を開き田畑を開墾し道路を改修し、医薬禁厭の法を定め、万民安居の基礎を立て、専ら国土を経営し給いし大神なり。是即ち毎年8月1日国鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり」 当神社は神功皇后御帰陣の際、御親祭の由緒深き古社にして、即ち住吉神社の草分けとも申奉るべき、日本最初の住吉神社総本宮なり。次いで御鎮斉あらせられたる長門摂津、筑前の住吉神社と共に、日本4住吉の1つにして、古来式内名神大社長崎県下筆頭の古社として知られたり。明治4年5月14日国幣中社に列せられ給う。かくて御鎮座以来現今に至る迄、海上安全国家安泰等々に御霊験の顕著なるものありて、島内は勿論全国よりの賽者年中絶ゆることなし媛(女へん無し)を以て歴代の天皇は国家の大事ある毎に必ず勅使を差遣し給い或いは神階を奉り幣帛を捧げ給い或いは社格を定め給う等、敬祭の誠を曷し給いしに依り、弥々御神徳は赫々として宇内に光被し益々衆庶の尊信を聚め農耕開発を始め、殖産興業海外発展等々は大神の佑助に依るものと信念して疑はざるなり。因に大正7年北白川宮殿下御参拝、昭和11年梨本宮殿下参拝有り。戦後と雖も些かも変わる事無く、昭和24年5月、同44年10月、同49年10月の3回に亘り、天皇陛下より幣饌料を御奉献あり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
住吉神社 一、 御祭神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 御相殿に 八千戈神(大國主命) 一、 御由緒 當社は神功皇后新羅御親征御凱旋の時 三韓鎮護の為 軍越神事を定めて御親祭あらせ給いしに始り 文徳天皇を始め11回に亘って神位を御進めになり醍醐天皇の御代には式内名神大社に明治4年5月には國幣中社にそれぞれ御列格になり昭和24年5月と同44年10月同49年10月には恐くも天皇陛下より幣饌料も御奉納遊ばされ今や壱岐の島の總鎮守として尚且つ長崎縣下筆頭の御由緒ある神社として 朝野の御尊崇殊に厚き神社なり 一、 例祭日 例祭 11月9日 春祭 4月11日 社頭掲示板 |
特殊神事軍越祭概要 異敵調伏のため一年に三度の神事を定む。正月17日、4月28日(今5月28日)、10月27日の三度なり。 戌亥の方に向ひ鉾を振り異國調伏の神秘を行ふ。正月17日、10月27日の両度は御鉾を御津浦に遷す。大宮司以下七家の神官各乗馬にて供奉し、鉾石に御鉾を立て、戌亥に向ひて異國降伏國家安穏の神秘を行ふ。4月28日は三韓降伏の配当の三岡あり。住吉・深江・志原軍越丘及幡宮等に大宮司以下七家神官各騎馬巡参、七ケ所の雄聲場に至り幣帛を捧げ異敵降伏天下安平の神秘を行ふ。 中古神官を減じて4人となし、後次第に衰廃して2人にて騎馬にて毎年4月28日一度古例の式祭執行。正月10月の両度は社頭にて行事す。尤も10月27日より11月1日まで社頭の矛田に御矛を遷し祭祀す。 式内社調査報告 |
住吉神社 住吉大神は伊弉諾大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓給ひし時生れ出で坐せる海洋守護の御神徳顕著なる大神にして神功皇后三韓を御親征の際御示顕に相成り皇后は御神託に依って船上に御鎮斎あらせられしに大神の和魂は玉体を守護し荒魂は其の先鋒となりて舟師を導きて霊験を顕はし給ひ刃に血ぬらずして三韓を征し給ふ 又八千戈神は又の御名を大国主神とも国造大巳貴神とも称奉りて天の広戈を執りて国土を経営し天下を平定し給ひし武勇の神に坐せり仍て御凱旋の御砌舟師を御津の浜に駐め給ひ鎮護の神として御視祭あらせられ敵国降伏の為軍越神事を定め臣安倍介麿に壱岐島を賜ひ大宮司としてその子々孫々をして永く奉仕せしめ異敵降伏国家安泰の神秘を行ふ軍越神事の秘法を伝えしめ給ふ 後御神託に依りて今の社地に遷座し奉れる由社伝に記されたり 斯の如く住吉大神は海路船舶の往来を守護し給ふ大神にてあらせらるゝを以て世に船魂の神とも称奉りぬ 相殿に坐す八千戈神は天神の勅を奉じて天下を巡周し給ひ村邑を開き田畑を開墾し道路を改修し医薬禁厭(エン)の法を定め万民安居の基礎を立て専ら国土を経営し給ひし大神なり 当神社は神功皇后御帰陣の際御親祭の由緒深き古社にして即ち住吉神社の草わけとも申奉るべき日本最初の住吉神社総本宮なり次いで御鎮斉あらせられたる長門摂津、筑前の住吉神社と共に日本四住吉の一にして古来式内名神大社長崎県下筆頭の古社として知られたり、明治四年五月十四日国幣中社に列せられ給ふ、かくて御鎮座以来現今に至る迄海上安全国土安泰等々に御霊験の顕著なるものありて島内は勿論全国よりの賽者年中絶ゆることなし 宝物 元文年間火災の為大部焼失其後の有志の奉納品等 ・鏡 十七面 明治四年境内の池中より掘出 ・高野四社名神の画 壱軸(県文化財)明治27年大阪市住大谷六左エ門寄附 年中行事 春祭(4月11日) 軍越祭(1月、5月、10月) 例祭(11月9日) 奉賛神楽(12月20日)壱岐の大大神楽奉を奉納する 由緒書 |
住吉神社 住吉神社 すみよしじんじゃ 長崎県壱岐郡芦辺町住吉東触。旧国幣中社(現、別表神社)。底筒男神・中筒男神。表筒男神を主神とし、相殿神として八千戈神を祀る。筒男三神は、住古大神とも称し、神功皇后三韓親征に際し、和魂は玉体を守護、荒魂は先鋒として師船を導かんという神託を下し、よって御座船に奉斎し、三韓親征が行われたという。 社伝によれば、その帰途に、船団は壱岐国柳田村半城御津浦に泊まり、三韓鎮護のため、当国に住吉大神を親祭されたのが、当社の創祀であり、我が国で最初の住吉神社であると伝えている。相殿の八千戈神は、別名大国主神とも国造大己貴神とも称し、天神の勅を奉じて天下を巡幸、村邑を開き、田畑を開墾し、道路を開修し、万民安居の基礎を定めるとともに、武勇の神でもあるため、国家鎮護・外敵降伏の目1的を以て相殿神として、当社に奉斎されたという。神功皇后の三緯親征後、特に海外との交渉は頻繁となり、本社鎮座地はその関門にあたるため、早くより朝延の尊崇特に篤く、『三代実録』によれば、貞観元年(859)正月27日、従五位下より従四位上に昇叙している。延喜の制では、名神大社に列し、祈年の国幣及び名神祭に預かっている。当国一の宮でもあった。古来、海洋交通の守護神として上下の尊崇篤く、累代の領主に於ても、社殿の造営・修復や神宝の奉納をたびたび行っている。『永禄10年壱岐諸社神領記』によれば、社領六七町余を有したとある。慶長19年(1614)には、領主松浦肥前守により社領二石の寄進があり、たびたび、祈祷が行われたという。明治4年(1871)5月14日、国幣中社に列した。 例祭11月9日。また1月17日、5月28日、10月27日には軍越神事が行われる。往時は大宮司以下七家の神職が騎馬にて、境外摂社の三社の軍越神社を巡行したという。他に8月1日、国鎮祭が、9月1日、海鎮祭が行われる。 神社辞典 |