名張川から名張のまちへ引かれた簗瀬(やなせ)水路の取り入れ口に位置している。 『三重県神社誌』によれば、宇奈根神はもと社域の南西隅の点取淵(古井手)に臨む巨巌(弁天岩)の上にまつられ、「うなり社」または「みなり社」と呼ばれていた。毎年6月16日には、この岩の前で宇流冨志祢神社の神職ら関係者が「岩祭り」という神事を営んでいる。 |
岩祭り 弁天岩由緒書 この処は、宇流冨志禰神社の初めての鎮座地であり、崇神天皇66年倭笠縫の里より御遷幸の途次御駐輦になった処にして、俗称弁天岩と称した処であります。 神護景雲元年、鹿島の神が奈良に御遷幸の途次、一時御駐輦の旧跡でありましたが、その後、現在地に御奉斎申したのでありますが、此の境内地が一部道路になるにつれ、お祭りの斎場も道路となり跡地のみを残して、玉垣を造り保存して来ましたが、この由緒を知る氏子も少なくなり、又旧6月16日は名張の大休み(休日)として酒を持って、お参りしたが今はすたれ大休み(休日)も無く、その由緒を知る人も少なくなったので永久的保存と、一般に知って貰うために略記しました。 宇流冨志禰神社 社務所 社頭掲示板 |