創祀及びその後の経緯も、延喜式内小社に列せられたこと以外、全く伝える史料がなく不詳。少なくとも近世初期以前には社名も所在もわからなくなつていた。 当初は藪ノ鼻(才良村)→吉田谷の杉谷神社ヘ合祀→(文化の頃)東浦に復興→(明治41年1月18日)杉谷神社へ合祀→(同1月28日)下郡の猪田神社ヘ合祀。 杉谷神社は、杉谷神社本社と、杉谷神社に合祀された若宮に分かれており、本社を坂戸神社とする説、若宮を坂戸神社とする説がある。 残編風土記には坂戸山に坂戸若宮としてあると記している。 |
坂戸神社 坂戸は佐加止と訓べし〇祭神稚産霊命○坂戸村に在す、今若宮と称す、(伊水温故)例祭(欠く)○残編風土記云、坂戸山、有神號坂戸若宮、所祭稚産霊命也、 類社 大和國十市郡坂門神社 神社覈録 |