穴石神社はこの碑の右手奥に鎮座奉斎されていたが、寛永21年(1644)7月の大洪水により社地社殿悉く欠潰し復興困難となったため正保3年(1646)8月に現在の柘植町字北浦の丘陵地に造営遷座された。 |
由緒 穴石神社は、旧記によると第30代敏達天皇の御代(571-)「此の郷の長、神を祀りて穴石大明神と号す」、第49代光仁天皇の御代「社地社殿の御制定あり」と伝えられている。 1070年余この碑の右手奥に鎮座奉斎されていたが、寛永21年(1644)7月の大洪水により社地社殿悉く欠潰し復興困難となったため正保3年(1646)8月に現在の柘植町字北浦の丘陵地に造営遷座された。 その後、明治末に合祀を実践したことにより大正11年に「都美恵神社」と改称され、現在に至っている。 平成18年(2006)遷座360年の佳き年にあたり記念碑を建立するものである。 社頭石碑 |