柘植川の北岸の河岸段丘に鎮座する。 伊賀国三の宮と称する。 『三重県神社誌』に、「古老相傳フ」として、「古昔該境内二樫木森立ス、其樹皆眞直ニシテ屈曲セス、因テ之ヲ朝廷二献シ旗木トス、故二波太伎神社ノ称アリ。」 別当寺は、真言宗の中道院であつて、慶長年間、当社の西北の接続地に建立され、敢国神社の別当寺神光院の末寺であつたが、明治維新の際の神仏分離によつて廃寺となつた。 波多岐神社はもと当地の東の伊賀市東条にあったという説もある。 |
波多岐神社 延喜式内社で、古くより伊賀国三宮と称された旧郷社である。 又、江戸時代当社と宇都可神社(境内社)も延喜式内社である。 特殊神事として、例祭当日(十月十八日)に神事相撲が行われる 社頭掲示板 |
波多岐神社 はたきじんじゃ 三重県上野市土橋。旧郷社。祭神は大鷦鷯尊を祀る。創建は明らかではないが、伊賀国三の宮と称されている。『延喜式神名帳』に列している。国府の近くに鎮座しており、国府湊を神領としていたと伝えられる。例祭10月18日。摂社に宇都可神社がある。旧村社。祭神は大物主命。大己貴命を祀る。『三代実録』貞観15年(873)に従五位下を授げ、「延喜式神名帳』に列する。例祭4月18日。 神社辞典 |
波太伎神社 波太伎は假字也○祭神仁徳天皇○府中村に在す、三宮と称す、(伊水温故)例祭、(欠く)〇残編風土記云、国分山、有神號波太岐社、所祭仁徳天皇也、 伊水温故云、三宮神躰ハ天皇白馬ニ乗ル○連胤云、宇郡可波太岐両社共に、三宮と称するはいかが、猶糺し改むべし、 神社覈録 |
郷社 波多岐神社 祭神 大鷦鷯命 創建年代詳ならすと雖も、延喜式に、「伊賀国阿拝郡(明治29年阿拝山田二郡を合せて阿山郡と改称す)波太岐神社、府中村三ノ宮、仁徳天皇と見え、同郡九座の一に列す、」神名帳考証に云く、波多岐神社、保食神、日本紀云、保食神顧上生粟、眼生稗、陰生麦及大豆小豆、乃以粟稗麦豆爲陸田種子、倭名鈔云、阿拝郡服部、有國府称三宮、延長風土記云、阿拝郡國府山有神、號波太岐社所祭仁徳天皇、准后伊賀記云、國府湊三ノ宮ノ神領」とあり、神社覈録に云く、波太伎は假字也、祭神仁徳天皇、府中村に在す、三宮と称す、伊水温故に云く、三宮神体は天皇白馬に乗る、波多伎社と號して仁徳天皇を祭る、延喜式神名帳二十五座の随一、」又云く、「大谷村阪の下村府中七郷の内と有之云々、大日本史に云く、「波多伎神社」、分注して「太一作多、伎又作岐、今在府中郷土橋村、称三宮、」永閑伊賀名所記に云く、「阿拝郡三宮、國府のあたりに侍るよし、宗祇の至宝抄に侍る、是は仁徳天皇のよしある記に侍る」と、三國地誌に云く、「府中郷土橋村に座す、三ノ宮と称す、山神、西條、東條、印代、土橋の総社とす、神祇志料に云く、「波太伎神社、今府中村にあり、三宮といふ、」以て本社の來由を知るべし、明治の初年村社に列し、同36年郷社に昇格す。 社殿は本殿、中門、廊下、透塀、拝殿、玉垣・宝庫、素屋、祭器庫、神饌殿、参籠舎五棟、社務所、大祓納所、手水含、井戸舎、石鳥居二基、鐘楼堂等具備し、境内坪数932坪(官有地第一種)を有す、 境内神社 宇都可神社は祭神大物主命にして、延喜の制式の小社に列し、阿拝郡九座の一に数へらる、三代實録に云く、「貞観15年9月27己丑、授伊賀國正六位上宇豆賀之神從五位下、」総國風土記に云く、「阿拝郡宇豆賀社圭田三十七束三宇田所血婿顯國玉神也、天武天皇2年癸酉6月始行祭礼加圭田、」三国地誌に、「宇都可神社は土橋村字鳥羽谷旧字大堀山に鎮座有之処、安政元年甲寅6月地震の際社殿の近傍迄社地崩れ落ち、況んや巌峰社地にして社殿風破の患難あり、且村民遠隔の地通路険阻にして参詣の往返に煩敷、依って明治10年11月29日管轄庁の許可を経て、土橋村字宮田920番地に社殿新築遷転し、該地に有之山宮神社(祭神大己貴命)を含祀し、土橋村一同崇敬の神社なり」と見ゆ、明治42年2月9日貴船神社(祭神罔象女命)薦枕神社(高皇産霊命)、諏訪神社(建御名方命)、寄建神社(祭神源満仲、同頼光、同頼信、同頼義、同義家)の各村社及び境内社訪諏神社を合祀し宇都可神社と単称す、府中神社は祭神須佐之男命にして、明治39年10月27日宇都可神社の境内社津島神社、諏訪神社境内社津島神社、貴船神社、境内社津島神社等を合祀し、同40年2月9日薦枕神社境内社波支岐神社、諏訪神社境内社秋葉神社を合祀し無格社府中神社と単称す。 明治神社誌料 |