明治9年2月、式内社をめぐつて、内保・土橋両村の間に紛争が起つた。そこで同年5月、教部省はこの両者について検討して、土橋の宇都可神社を式内社のそれであると決定した。 『三国地誌』『神社覈録』『大日本史』神祇志 は当社を式社とする。 波多伎神社本殿右の境内社が宇都可神社。 |
宇都可神社 本社ハ元土橋村字鳥羽谷(トバダニ)1199番地旧字大堀山ニ鎮座式内宇都可神社卜称セシガ安政元甲寅6月地震ノ際社殿ノ近傍迄社地崩レ落チシト元来厳峯ノ社地ニテ社殿風破ノ患アリ且村民遠隔ノ地殊ニ通路険阻ニシテ参詣ノ往返ニ煩敷ヲ以テ明治10年10月29日管轄庁ノ許可ヲ経テ土橋村字宮田920番地戸籍39番ノ社地ヘ社殿新築奉遷シ該地ニ有之山宮神社ト合殿ス 三重県神社誌 |
宇都可神社 宇都可は假字也、残編風士記、宇都賀里、〇祭神詳ならず○土橋村に在す、今三宮と称す、(伊水温故云、内保村通山大明神考ふべし、) 神位 三代実録、貞観15年9月27日己丑、授伊賀国正六位上宇豆賀之神從五位下、 神社覈録 |
郷社 波多岐神社 祭神 大鷦鷯命 創建年代詳ならすと雖も、延喜式に、「伊賀国阿拝郡(明治29年阿拝山田二郡を合せて阿山郡と改称す)波太岐神社、府中村三ノ宮、仁徳天皇と見え、同郡九座の一に列す、」神名帳考証に云く、波多岐神社、保食神、日本紀云、保食神顧上生粟、眼生稗、陰生麦及大豆小豆、乃以粟稗麦豆爲陸田種子、倭名鈔云、阿拝郡服部、有國府称三宮、延長風土記云、阿拝郡國府山有神、號波太岐社所祭仁徳天皇、准后伊賀記云、國府湊三ノ宮ノ神領」とあり、神社覈録に云く、波太伎は假字也、祭神仁徳天皇、府中村に在す、三宮と称す、伊水温故に云く、三宮神体は天皇白馬に乗る、波多伎社と號して仁徳天皇を祭る、延喜式神名帳二十五座の随一、」又云く、「大谷村阪の下村府中七郷の内と有之云々、大日本史に云く、「波多伎神社」、分注して「太一作多、伎又作岐、今在府中郷土橋村、称三宮、」永閑伊賀名所記に云く、「阿拝郡三宮、國府のあたりに侍るよし、宗祇の至宝抄に侍る、是は仁徳天皇のよしある記に侍る」と、三國地誌に云く、「府中郷土橋村に座す、三ノ宮と称す、山神、西條、東條、印代、土橋の総社とす、神祇志料に云く、「波太伎神社、今府中村にあり、三宮といふ、」以て本社の來由を知るべし、明治の初年村社に列し、同36年郷社に昇格す。 社殿は本殿、中門、廊下、透塀、拝殿、玉垣・宝庫、素屋、祭器庫、神饌殿、参籠舎五棟、社務所、大祓納所、手水含、井戸舎、石鳥居二基、鐘楼堂等具備し、境内坪数932坪(官有地第一種)を有す、 境内神社 宇都可神社は祭神大物主命にして、延喜の制式の小社に列し、阿拝郡九座の一に数へらる、三代實録に云く、「貞観15年9月27己丑、授伊賀國正六位上宇豆賀之神從五位下、」総國風土記に云く、「阿拝郡宇豆賀社圭田三十七束三宇田所血婿顯國玉神也、天武天皇2年癸酉6月始行祭礼加圭田、」三国地誌に、「宇都可神社は土橋村字鳥羽谷旧字大堀山に鎮座有之処、安政元年甲寅6月地震の際社殿の近傍迄社地崩れ落ち、況んや巌峰社地にして社殿風破の患難あり、且村民遠隔の地通路険阻にして参詣の往返に煩敷、依って明治10年11月29日管轄庁の許可を経て、土橋村字宮田920番地に社殿新築遷転し、該地に有之山宮神社(祭神大己貴命)を含祀し、土橋村一同崇敬の神社なり」と見ゆ、明治42年2月9日貴船神社(祭神罔象女命)薦枕神社(高皇産霊命)、諏訪神社(建御名方命)、寄建神社(祭神源満仲、同頼光、同頼信、同頼義、同義家)の各村社及び境内社訪諏神社を合祀し宇都可神社と単称す、府中神社は祭神須佐之男命にして、明治39年10月27日宇都可神社の境内社津島神社、諏訪神社境内社津島神社、貴船神社、境内社津島神社等を合祀し、同40年2月9日薦枕神社境内社波支岐神社、諏訪神社境内社秋葉神社を合祀し無格社府中神社と単称す。 明治神社誌料 |