霧島東神社
きりしまひがしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】霧島神社 日向国 諸県郡鎮座
          (本社)霧島神宮

   【現社名】霧島東神社
   【住所】宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田6437
       北緯31度53分31秒、東経130度57分43秒
   【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊
       (配祀)天照大神 瓊瓊杵尊 天忍穗耳尊 彦大大出見尊 鵜鵜草葺不合尊 神日本磐余彦尊

   【例祭】11月9日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】崇神天皇の御代の創祀
       康保3年(966)天台僧性空大権現東光坊花林寺錫杖院が建立
       文明16年(1484)島津忠昌霧島東社を霧島岑神社の旧地に近い祓川の山上に建立
         東御在所両所権現と称した
       天文13年(1544)現在地に遷座
       明治維新後村社・霧島東神社と改称
       昭和9年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】文明16年(1484)島津忠昌霧島東社を霧島岑神社の旧地に近い祓川の山上に建立
        天文13年(1544)現在地に遷座

   【祭祀対象】本来は高千穂峰を祀る
   【祭祀】江戸時代は「東御在所両所権現」と称していた
   【社殿】本殿
       神詞殿・拝殿・神饌殿・幣殿・手水舎・社務所

   【境内社】猿田彦神社・法栄殿(先賢別当慰霊殿)
        脇社(左殿)・脇社(右殿)・門守社(左殿)・門守社(右殿)・天狗堂


高千穂峰への中腹、標高500mの高台に霧島の火口湖の中で最も大きい御池を見下ろす形で鎮座している。
高千穂峰山頂には霧島東神社の社宝として天之逆鉾が祀られている。


天之逆鉾

高千穂峰(1574m)の山頂にあり、霧島東神社の社宝として祀られている。伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)が高天原から鉾を差しおろし、かき混ぜて作った国土に、逆さに突き立てたものと使えられる。また、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天照大御神(アマテラスオオミカミ)から授かった鉾ともいう。
実際に祀られた時期は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったものとされ、少なくとも江戸時代にはその存在は広く知られていた。霧島山に対する信仰の対象であるとともに戦前までは雨乞いの神ともされ、鉾の前で祭儀を行っていたという。

社頭掲示板



霧島東神社

伊邪那岐尊・伊邪那美尊を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。天暦年間(947〜957)に天台宗の僧、上空上人が神社のかたわらに別当寺である、錫杖院を建立し、霧島六社権現のひとつとして霧島山で神意仏心を崇める修行を行う修験者たちの拠点となった。当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄えた。
度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねており、現在の社殿は享保12年(1722)の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には寛文6年(1666)薩摩藩主島津光久公寄進の「東霧島坐 [霧島の東に坐(いま)す]」の扁額が納められている。
例大祭 11月8日・9日

社頭掲示板



霧島東神社

宮崎県西諸県郡高原町祓川。
旧県社。伊弉諾尊・伊弊冊尊・天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊を祀る。かっては、東御在所六社権現と称され、別当寺として真言宗錫杖院があった。当社も性空上人の創建と伝えられている。また当社に於ては、当社社家の年中行事として、祓川の神舞という神楽が有名である。昭和49年、記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財に選択されている。もとは、氏子宅を神楽宿として、旧暦11月16日に行われていたが、現在は、12月の第二土曜日、公民館を御講屋として、夕刻から夜を徹して、三三番の神楽が舞われる。出雲流神楽の系統とされ、古い能の様式を残すものとみられている。

神社辞典



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