稲田神社の北西300mの山中に鎮座している。現在も本宮と呼ばれている。境内に「太鼓石」という大石あり。 この地は祭神垂跡の地と伝えられる。山裾石段に向かって左手に小さな池があり、その手前に二坪ほどの山田が三枚ある。稲田の好井と三田(ヨミタ)と呼ばれるのがそれで、今も水を湛え、稲作がつづけられている。その上に小社殿があり、傍に太鼓石(太古石。径九尺ほど)と称せられる大きな石がある。 |
由緒 御由緒、御鎮座は今を去る1200有余年の昔新治国造が此の地方を治めた頃、創建されたものであります。御祭神奇稲田姫命は古事記にいう八岐の大蛇退治の御縁で、須盞鳴之尊と結ばれ御夫婦になられた、女の神様であります。なお神社には元禄8年(1695)水戸藩主徳川光圀公が奉納した四神旗が社宝としてのこされています。県指定文化財(昭和63年1月25日)。 御神徳、歴史豊かな吾国・加波・難台の三山を正面に見はるかす景勝の霊地に鎮座する稲田神社の御祭神は女神であらせられますので、母の大愛を備えられ、慈悲仁愛の徳高く願事は必ず聞き届けられるといわれます。特に縁結び、安産、身体健全、学業成就、眼病治癒、交通安全、商売繁昌、家内安全の祈願者が絶えません。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
稲田神社(奥の院) 笠間市指定有形文化財 本造観音菩薩立像 一躯 所在地 笠間市稲田1131(個人蔵) 指定日 平成15年2月24日 製作 平安時代中期 像高 81cm 本像は、稲田字久保の旧稲田山大光院神宮寺の本尊仏であり、延喜式内大社稲田神社の祭神である奇稲田姫命の本地仏聖観音と伝えられる。創建年代は明らかではないが、同寺は鎌倉時代には稲田神社境域内に営まれていた。 一木造り、漆箔で、当初は彩色が施されていた。衣の裾部分の金箔は後補である。彫眼で、髪は頭頂部で結び、紐一条の天冠台がめぐっている。条帛を着け、天衣は両肩から膝前ヘニ段に掛けている。蓮華座の台座に両足を揃えて立ち、左手は垂らして与願印の印を、右手は蓮華をもつ像容であるが持物はない 笠間市指定有形文化財 木造毘沙門天立像 一躯 所在地 笠間市稲田1132(個人蔵) 指定日 平成15年2月24日 製作 平安時代中期 像高 97cm 本像は、木造観音菩薩立像と共に神宮寺観音堂に安置されており、水戸藩第二代藩主徳川光圀の仰せにより安置・祀るようになったと伝えられる。一木造りで、顔は眉をしかめ両眼を見開き激しい怒りで悪魔を退散させる忿怒降魔の形相をみせる、兜の頂に宝珠を飾る唐様兜をかぶり、鎧の襟甲を結び、胸甲をあて、紐三条で締め、襟首から背中へ渡している。左手に宝塔を、右手に武器(戟)を持って立つが、邪鬼を踏みつけることはない。 社頭掲示板 |