御社殿はかつては現在の第一鳥居付近(ひたちなか市史跡−「比観亭跡」)に鎮座していましたが、水戸藩2代藩主徳川光圀公が由緒深い名社の荒廃を嘆き元禄年間御造営の計を起し、3代綱條公が現在地に遷座再興されました。 |
比観亭 ひたちなか市指定史跡 比観亭跡 寛政2年(1790)11月、水戸藩第六代藩主徳川治保は・酒列磯前神社を訪れた際、見晴らしの良い小高い丘から眼前に大洋を一望し、北に白砂青松の海辺を隔てて、はるか河武隈の山地をみることができる景色に感動した。 そこで治保は、この台地に「お日除け」(あずまや)を建てることとし、自身で9尺四面(約2.7m)の土地を画して建設を命じた。 翌3年1月、書社手代小川勘助、郡方手代大久保常衛門らの立会いで建設がなされ、「比観亭」と名付けられた。屋根は草葺きであったという。比観亭に掲げられた扁額は、彰考館総裁立原翠軒が筆をとり、これを桜の板に彫刻したものである。現在、扇額は酒列磯前神社に保管されてしいる。 指定日 昭和43年1月16日 設置者 ひたちなか市教育委員会 社頭掲示板 |