天津津祀神社
あまつつしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】粒坐天照神社(名神大) 播磨国 揖保郡鎮座
          (現在社)粒坐天照神社

   【現社名】天津津祀神社
   【住所】兵庫県たつの市揖西町小神
       北緯34度52分13秒  東経134度31分59秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】推古天皇2年(594)正月1日的場山の山頂附近に降臨
       貞観元年(859)正月従四位下
       応永の乱で羅災
       嘉吉元年(1441)嘉吉の乱で兵火に羅災
       文明3年(1471)現在の日山の里に赤松則重が神域を拓いて遷座

   【関係氏族】
   【鎮座地】最初、現在の的場山の山頂附近に(この地)奉齋
        後小神の地に遷座再建(今の古宮(フルミヤ)神社の宮地)
        文明3年(1471)現在の日山の里に赤松則重が神域を拓いて遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿(石祠)
       拝殿

   【境内社】

的場山山頂に至るNTTの管理道路がある(一般車両は入れない)、入り口から1200m程の地点から尾根に上がると石祠がある。
天津津祀神社は粒坐天照神社創建の地で、的場山の中腹にある。応永の乱による兵火にかかって全焼したたため、この神社を山麓の小神に遷したのが古宮神社である。ところが、文明3年(1471)になってこの古宮神社の社殿が炎上したため、広い社地を求めて日山に遷座した。これが現社地である。しかし、当社の火難はさらにつつき、その2年後にまたもや火災に遭ったため、再び古宮神社の地に還ったという。やがて天正9年(1581)、龍野城主だった蜂須賀小六によって再び日山に戻された当社は、それ以降、ずっと現社地に留まっている。


走田神社

天祇神社
天津津祀神社
推古天皇3年 西暦594年建立
粒坐天照神社発祥の地

社頭石碑



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順悠社