初め辛室郷(後、安室郷、風土記韓室里)新在家村(姫路市新在家)の高岳(八畳岩)の鳶ケ巣に祀つていたのを、天長3年(826)9月9日現在の蛤山に奉遷し、神社社殿を創祀した。 当初、応神天皇以下五柱を祀つていたが、後世、住吉大神以下三柱を合せ祀り、更に明治に入つて宇賀魂以下三柱を合祀した。 |
由緒 当社は延喜式内の社にして国内神名帳大神二十四社の内八所明神の一なる当国第五の宮にして旧安室郷の総氏神なり時の武将世々の国司領主の尊崇厚く延暦元年坂上田村麿幣帛を奉り寛元年中鎌倉幕府北条経時佐貫十郎を遣して祈雨祭を行い天文元年赤松政則本殿を修復して草上の地五町を献じ寛永18年姫路城主松平下総守神供料を寄附し、以降累代の城主之を安堵とす。さて、初め当社は新在家八疊岩山に祀られしを天長3年9月9日に此蛤山に奉遷す、此所は和名抄に草上郷とある所にして後安室郷となれり。境内には巨大なる岩石多く殊に社殿の背後にそびゆるもの最も怪奇なり、昔土地の人此岩上にて蛤を拾い福徳長寿の幸を得しかば名付けて蛤岩と称す。当社の宝物に蛤の化石今に伝わり明治7年2月郷社に列し、昭和7年県社に昇格す。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
高岳神社 当神社は延喜式内社で、古来播磨国「五の宮」として崇められ、皇室を始め国司領主武将の尊信極めて厚く、その由緒の古く正しいことにおいては国内屈指の古社です。延暦元年(782)に征夷大将軍坂上田村麻呂は幣帛を奉って武運を祈り、寛元年中には鎌倉幕府執権北条経時が、家人の佐貫十郎を遣わし、銀貨一包・太刀一口を献じて祈雨祭を行っています。また播磨国守護赤松氏を始め、姫路城主松平侯、酒井侯は何れも神殿を供し、走馬を献じ、社殿を造修し、神供料を献納するなど、敬神以て民生の安定、郷土の進展を図っており、地方の衆庶も深く尊信の至誠を致した。このように由緒尊い神社であることから、明治45年に兵庫県より神饌帛料供進社に指定され、されに昭和7年には県社に昇格しました。 この聖域の中心である巨大な霊岩は世に蛤岩と称せられている。ある時、土地の人がこの岩上で蛤を拾い、福徳長寿の幸を得たので、このように名付けられたそうです。この巨岩の頂上には一つのくぼみがあって、四季を通じ常に霊水をたたえ、しかもこの水が干満と共に満ち引きする、という神秘が伝えられています。 http://www.agajinja.jp/shrine/takaoka02.html |
蛤岩由緒石碑 往古の昔、瀬戸内海が書写山の麓まで海に満ちていた。 高岳神社の直ぐ北の山頂部に、高さ約80mにも及ぶ巨岩があり、蛤岩と呼ばれている。これは土地の人が、この岩の上の窪みの何で蛤の親子化石を拾い、福徳長寿の幸を得たので、このように名付けられたそうである。 子孫繁栄福徳長寿の大神・高岳神社の御神体として奉遷鎮座、聖域の中心と奉り、高岳・安室郷の総氏神として崇められていました 社頭石碑 |