神明社
しんめいしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】坂名井神社 越前国 坂井郡鎮座
   【延喜式神名帳】枚岡神社 越前国 坂井郡鎮座
   【延喜式神名帳】味坂神社 越前国 坂井郡鎮座 (境内社味坂神社)
          (境内社)比古奈神社
               合祀社に合祀されている

   【現社名】神明社
   【住所】福井県坂井市三国町神明2-2-3
       北緯36度13分5秒、東経136度8分44秒
   【祭神】天照皇太御神
   【例祭】9月16日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       天正年中信長の兵焚で焼失
       その後社殿を改築し、神明神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】往昔、越前国坂井郡坂井港字日和山に鎮座
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】合祀社・味坂神社

継体天皇が越前国河川開拓のとき枚岡を行在所とし、王が越前を離れた跡、民が徳を偲んで旧行在所に遷座して枚岡神社と称したという。
『神社誌料』(昭和45年講談社発行)に「継体天皇未だ皇子たりし頃、当地牧岡と去う所に潜居せられ、三大河を穿ち、諸方の河流を当地の西北銚子口に注がしむ、乃皇子該牧岡を行在所になし給いし旧趾なれぱ、庶民相計りて皇子の寿像を右氏神社殿に合祭し、牧岡神社と称し、(中略)延喜式神名帳に牧岡神社と記されたり、然るに該社號を神明社と称する所以は、天正年中信長の兵焚に罹り、社殿及旧記、神器等焼失したるを以て社領も自ら没収せられ、妥に於て氏子協議し、社殿を改築し、神明神社と改称し」と説いているが、坂名井神社との関係については言及していない。
【味坂神社】合祀社とは別に境内社味坂神社がある。弥坂山に鎮座していたが祭神は薬師如来ともいわれ神仏習合であるが、明治25年(1892年)神明神社境内に移されている。この境内社味坂神社を式内社味坂神社とする説がある。


神明社

男大迩皇子該枚岡ヲ行在所ニナシ玉フ(中略)更二枚岡行在所ノ旧跡エ社宇ヲ遷築シ枚岡神社ト称號シ尊崇日々盛ニシテ宏壮花麗ヲ極メタル由其後千数百年ノ星霜ヲ経歴スル故社地ノ遷座社家ノ盛衰等詳細ナラサレトモ、唯今二存在スル者當時盛祠ノ際勅使ノ奉幣及ヒ式内枚岡神社ノロ碑等里老ノ間二傳説セリ。然ルニ該社號ヲ神明社ト称號スル所以ハ天正年中織田氏ノ兵焚二罹リ社殿及旧記神器等焼失シタルヲ以テ社領モ自ラ没牧二属セリ、爰二於テ氏子共協議ヲ以テ社號ヲ更二神明社ト改称シ(以下略)

神社明細帳



味坂神社

養老元年(717年)紀州熊野神社より御神体を勧請し平野の地に鎮守 諸人の帰依浅からず老若群集い参拝絶えざりき その後滝谷村の産土神と崇敬し社宇を今の弥坂山に造立せり 然るに元亀3年(1572年)朝倉氏滅亡の時社殿消失し現存のものは土佐国主より寄進の石祠並びに鳥居其他平野畑一万余歩なり その頃より国主歴代の祈願所となりしも後ゆえありて神明社に氏子所属し社務支配十三名輪番にて奉仕せり 昭和23年6月28日福井大震災にて倒壊せり 昭和49年8月社殿を復元す

式内社 味坂神社由緒



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