舟津神社
ふなつじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】丹津神社 越前国 今立郡鎮座
   【延喜式神名帳】大山御板神社 越前国 丹生郡鎮座 (合祀)
          (旧地)丹津神社【旧地】
          (合祀)大山御板神社

   【現社名】舟津神社
   【住所】福井県鯖江市舟津町 1-3
       北緯35度56分20秒、東経136度11分11秒
   【祭神】大彦命 猿田彦命 (配祀)孝元天皇 素佐嗚命
   【例祭】4月17日 春季例祭 9月19-20日 秋季例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】大彦命進軍の節大山の峰に楯を三方に建て創祀
       成務天皇4年9月10日大彦命が舟津の地に勅祭
       継体天皇元年上下両社造営
       同3年正月宮幣
       貞観元年(859)2月22日神位正一位
       天元年中(978〜83)下の宮の火災
       上の宮の東境に小社を建てて遷宮
       寛仁3年(1019)下宮焼失上宮に合祀
       応永23年(1416)社殿老朽化により下の宮再建
       この後下の宮の相殿に上の宮を祀る
       天正4年(1576)柴田勝家社領を没収
       享保6年(1721)間部氏鯖江に封ぜられ再建
       寛保2年(1742)7月現在地に遷座
       文化年(1804〜)社殿造営
       明治8年(1875)5月5日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧地は現在地より東方約300m
        寛保2年(1742)7月現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【参考HP】 舟津神社
   【社殿】本殿
       拝殿・神饌所・水舎・社務所

   【境内社】八幡神社

街中に鎮座している。大きな本殿である。成務天皇4年に創建。古くは上宮(大山祇命御杖神社)と下宮(船津神社)と並び立っていた。上宮は王山の東麓、下宮はさらに東にあった。
背後の山は王山(逢山、大山、岱山)とよばれ標高約60m、南北300m、東西約200mの小丘である。山頂から山麓にかけて、4世紀から5世紀ごろに築造された古墳が約40基存在する。


舟津神社

『延喜式』神名帳所載の社、いわゆる式内社で、北陸一の古社。祭神は大彦命。相殿に大山御板神社、祭神猿田彦命 孝元天皇、素佐嗚命を祀る。四道将軍の一人大彦命は崇神天皇10年(前88)勅によってこの北陸道に遣わされ、その際逢山(王山)の峰に楯三枚を以て社形を成し、猿田彦命を祀り国中安寧を祈り、成務天皇4年(134)市入姫が勅をうけ大彦命を舟津郷に奉斎したのが創りと伝え、前者が大山御板神社(上宮)、後者が舟津神社(下宮)である。
 「延喜式神名帳」では丹生郡、今立郡に分れて所載するが上宮が王山の上に下宮が王山の東方数町の所に位置し両郡の郡境に比定される叔羅川(現、日野川)が往古は王山の東を流れていたことに依るとされる。寛仁3年(1019)下宮が火災に罹り、下宮を上宮に合祀。応永23年(1416)下宮が再建され、爾来上宮・下宮同殿の社となる。
 中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受け、近世には社地は福井領であったが、享保6年(1721)間部氏の鯖江入部以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。寛保2年(1742)往古の上宮・下宮の中間地 王山の東麓に社殿が遷された。明治8年県社に列せられた。例祭は9月20日。
 背後に王山古墳群があり、国の史跡。本殿、赤鳥居、大鳥居は県指定文化財。社宝に市指定文化財の太皷樽などがある。

社頭掲示板



舟津神社本殿

県重文 舟津神社本殿
 祭神は大彦命。相殿に大山御板神社すなわち猿田彦命・孝元天皇・素佐嗚雄命を祀る。
 五間社流造。身舎は正面五間・側面四間 向拝は正面三間・側面一間。背面中央に桁行三間・奥行二間の庇。神座三間。正側面三方に高欄付き木口縁を設け、木階七級を付す。
 柱は身舎は円柱、向拝は方柱。組物は身舎は拳鼻付き出組、実肘木付き、中備に間斗。向拝は出三斗、実肘木付き。背面庇が拳鼻付き平三斗。
 妻飾は出組。大虹梁の上に大瓶束三本を建て、平三斗を置き、二重虹梁を渡す。その上に大瓶束・両脇亥扠首、束上に出三斗を置いて棟木を受ける。破風の拝みに猪目懸魚、向拝桁等に雲型の桁隠。
 屋根は?葺。大棟は笏谷石の樋棟。鬼板付き。
 文化13年(1816)再建釿立、文政3年(1820)竣功。棟札二枚の他に450点に及ぶ再建修理関係文書が伝存する。昭和63年屋根修復にあたり桟瓦葺を改め、?葺に復原された。
 平成10年4月23日福井県指定有形文化財に指定。

社頭掲示板



舟津神社大鳥居

県重文 舟津神社大鳥居
 寛政12年(1800)再建の木造両部鳥居。枠差鳥居ともいう。島木・笠木の上に屋根を付ける越前型の典型的なもの。鼾゙。板葺。総高6.58m、柱中心間隔4.77m。
 江戸後期における白木・木造鳥居の現存遺構は少なく、建築的意匠も優れ、再建・修理関係文書も大量に遺されていて、年代・棟梁名その他も明らかにでき貴重である。
 寛政7年(1795)4月再建の決定をみ、爾来5年の準備の末、同12年釿立、7月30日棟揚、8月2日竣功した。棟梁は小黒町村大工重兵衛等三人棟梁、木引は鯖江町木屋市平。文化元年(1804)2月廿日楊揚賀祭、槌供養齋行。
 天保10年(1839)、安政2年(1855)、昭和33年(1958)等に修理され、ことに安政時のは大修理で、十分の一板図も遺されている。昭和61年3月28日福井県指定有形文化財に指定。平成2年12月解体・復原修理、3年9月19日竣功した。

社頭掲示板



舟津神社赤鳥居

県重文 舟津神社赤鳥居
 明神鳥居。木造朱塗。柱下部笏谷石製。銅板葺。高さ4.2m、柱中心間隔3.4m。
 安永3年(1774)5月鯖江藩主間部詮茂(1739〜86)奉納。棟梁は鯖江藩作事頭竹内次郎兵衛。同年4月19日作事着手。5月13日竣工、15日殿様御柱社参あって御検分。 『舟津記録抄』や『間部藩日記』に間部家奉納・修理の関係記事が散見し、「藁座」鳥居と見える。藁座とは根包から発した名称で柱の下部を土中深く埋め、これに木造鳥居をいわゆる追い掛け継ぎにして帯銅で締めてある形式を指しているのであろう。
 本鳥居は修理を要する際には、鯖江藩寺社奉行にその旨を届けると、作事方より来社して屋根葺替等をすることになっていた。天明5年(1785)、寛政11年(1799)に屋根修理があり、次いで文政6年(1823)積雪転倒により解体修理されている。平成10年4月23日本殿と共に福井県指定有形文化財に指定

社頭掲示板



舟津神社

鯖江台地の南に続く王山の東麓に鎮座する。
祭神は、崇神天皇御宇の四道将軍の一人として知られる大彦命で、相殿には大山御板神社を祀る。共に式内社。大彦命(大毘古命)の北陸道派遣のことは、『古事記』及び『日本書紀』の崇神天皇10年(前88)に見えるが、『舟津社記』によれば、大彦命は、淡海より角鹿の津に赴き、八田という所に着き舟場より乗船して東進し、途中塩垂の長という長老の教えをうけ、安伊奴彦の先導により深江という所に到り、舟を着けたので舟津といい、この所にある山に上ると、先に消え去った長老に再び逢ったので、この山を逢山(王山)ということになったという。この長老こそ猿田彦命で、種々教導をうけ、その神示によりこの神圭二太(御板)の神として祀り、賊の挙兵の際にこの神に祈ると、虚空より佐波矢(鯖矢)が落下し賊の魁師にあたり、神示の如く剣に血塗ることなく平定の功をなしたという。成務天皇4年(134)大彦命が舟津の地に勅祭され、猿田彦命を祀る御板神社に孝元天皇が合祀された。継体天皇元年(507)詔により正税を以て両社の神殿が再建された。大山御板神社を上の宮、舟津神社は下の宮と称されたが、天元年中(978〜83)に下の宮が火災に罹るにより、上の宮の束境に小社を建て遷され、寛仁3年(1019)下の宮の再度の焼失により上の宮に合祀された。応永21年(1414)社殿老朽化し神主橋本宮内大輔常住は下の宮の再興をはかり、同23年これを再建し、下の宮の相殿に上の宮を祀り、正中に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られ、現在の三座奉祀様式となる。寛保2年(1742)王山の東二町の地より束麓の現在地に社殿が遷された。
古くより北陸鎮護の社として朝野の篤い崇敬を受け、享保6年(1721)間部氏の鯖江入封後は祈願所とされた。明治8年5月、県社に列格。昭和51年9月御鎮座二千百年祭が斉行された。
本殿は、県内最大規模の五間社流造。背面中央三間庇付。文政3年(1820)再建。
昭和63年当初の柿葺に葺改められた。大鳥居は、寛政21年(1800)の再建になり、平成3年に解体修理された。拝殿は、天保四年(1833)再建の割拝殿であったが、平成3年9月27日に襲来した台風19号により倒壊し、再建準備中。かつて境内の内外は「舟津八景」として知られていた。

福井県神社庁



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