岡太神社
おかもとじんじゃ
大瀧神社境内社 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】岡本神社 越前国 今立郡鎮座
          (本社)大瀧神社

   【現社名】岡太神社
   【住所】福井県今立郡今立町大滝14-1
       北緯35度54分25秒、東経136度15分37秒
   【祭神岡太大神
   【例祭】5月3-5日 例大祭
   【社格】
   【由緒】推古天皇(593〜)の御宇大伴連大瀧が勧請
       養老3年(719)沙門泰澄当地に来たり。大瀧神社に祈願
       延元2年(1337)の兵火で焼失、大瀧神社相殿に合祀
       その後、別に社殿を当社の境内に設け岡太川上御神と崇めた

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は岡本川上
        延元2年(1337)の兵火で焼失、大瀧神社相殿に合祀
        元禄元年別に社殿を建立

   【祭祀対象】紙祖神川上御前
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】
   【参考HP】 大瀧神社

大瀧神社の奥院に本社の祭神と相並んで摂社として祭祀されている川上御前を式内岡太神社としており、紙漉きの伝承を付加してこれを五箇製紙の紙祖として奉祀している。
岡本神社は、本社大瀧神社の奥の院に祀られており、その位置は大瀧神社拝殿より距ること約1Km、通称権現山の山嶺にある。


岡太神社

當社創立の年月詳かならずと雖も當所地主の神にして同区神宮谷より清く流るる岡本川の川上なる字宮垣と称する所に往古より鎭座し給ひし式内の神社なり、曾て當村人家未だ少かりし頃、此の神少女となりて出現し村人に告げて此の郷田畝少く將來農業を以て子孫を養ふこと難かるべけれど自今爾來製紙を以て子孫の業とせよと宣ひ手から上衣を脱して竿頭に掛け懇切に其の業を教へ給へり。村人等其の神託を惶みその何れより來ませしやを問ひ奉れぱ、『我は此の郷にうしはく地主の神なり』と答え給ひぬ。村人恐懼して仰き奉れは既に消失し給ひてその影なし。村人等直ちに神託に遵ひ製紙の業を創め漸次盛況を見るに至れり。斯して郷民等其徳を慕ひ川上に社殿を建立し岡太神社と齋き奉りき。神域一町余歩ありて崇敬殊に厚かりしが、泰澄大瀧寺を創むるに至り當社は漸次衰徴の姿となり剰さへ延元2年社殿回禄に遭ひ逐に大瀧神社の奥の院相殿に齋き奉るに至りぬ。岡本川の川上に鎭座し給ひし神なれば川上御前とも川上御神とも尊称し奉れり。元禄元年別に社殿を同境内に建立して摂社と爲せり

由緒書



大瀧神社

大瀧神社
紙祖神岡太神社
御祭神
旧県社 大瀧神社
  国常立尊 伊弉諾尊
式内社
紙祖神 岡太神社
  川上御前(岡太大神)
 当神社は神体山である権現山(323m)の山頂付近に建つ奥の院(上宮)と里宮(下宮)とから成り立ち、奥の院には大滝神社と岡太神社の本殿が並び建っている。この山麓にある社はその両社の里宮である。大滝神社の創建は、社伝によれば、推古天皇の御代(592−638)大伴連大滝の勧請に始まると伝えられている。
 ついで、奈良朝に至って元正天皇の養老3年(719)、越の大徳と称せられた泰澄大師がこの地に来り、大徳山を開き、水分神であり紙祖神である川上御前を守護神として祀り、国常立尊・伊弉諾尊の二柱を主祭神とし、十一面観音をその本地とする神佛習合の社を建て、大滝兒大権現、または小白山大明神と称し、その別当寺として大滝寺を建立し、社僧を置き神事を司らしめらことを伝えている。
 岡太神社は、この村里に紙漉きの業を伝えたとされる川上御前を祀り「延喜式神名帳」(926)にも記載されている古社で、往古よりこの神域に摂社として祀られた。この紙祖神としての川上御前に対する里人の信仰は篤く、神の教えに従い古くから大滝神郷一円を中心に、優れた紙を漉いてきた。
 中世には大滝寺は平泉寺の末寺となり、四十八坊の堂塔伽藍が山頂、山麓に並び、社僧も六、七百人を擁して隆盛を極め、神領七十余町、日野川以東の村落四十八ヶ村を氏子とするにいたった。南北朝時代には足利の軍勢に抗し、その兵火により一時衰退するが、室町時代の中葉、国主朝倉氏の帰依篤く、再び社運は興隆した。天正3年(1575)、織田信長の一向一揆攻略の際再度兵火に会い、一山ことごとく灰燼に帰したが、その後に領主となった丹羽長秀の保護により漸く復興することになる。
 江戸時代には、初代藩主結城秀康を初め代々藩主の崇敬篤く、兵火のため焼失した社殿も再建された。その後、老朽化により天保14年(1843)には江戸後期の社殿建築美の粋を尽くした現在の里宮の本殿、拝殿が再建された。明治維新後、神佛分離令によって「大滝児大権現」は大滝神社と改称され、昭和3年には県社に列せられ今日に至っている。
 なお、大正12年7月には、大蔵省印刷局抄紙部に摂社岡太神社の御分霊が奉祀され、紙祖神川上御前は名実ともに全国紙業界の総鎮守として多くの人々の信仰を集めている。
 昭和59年(1984)5月21日、現里宮の本殿・拝殿がその歴史・記録の確かさと建築の美しさを認められ、国の重要文化財として指定を受けた。
 さらに、平成4年(1992)5月、神門・回廊・奉楽殿が造営され、ますます神威が高まり、調和された輪奐を遺存するものとなった。
祭礼
春例祭 3月3日−5日
秋例祭 10月11日−13日
式年大祭 (御開帳)33年目毎
御神忌 (中開帳)50年目毎
文化財
重要文化財
 本殿・拝殿 一棟(天保14年建立)
文化財(県・町指定)
 奥の院 岡太神社本殿(江戸初期再建・町指定)
 奥の院 大滝神社本殿(江戸中期再建・町指定)
 神宮堂 木造虚空蔵菩薩像(平安時代・県指定)
 観音堂 木造十一面観音坐像(平安時代・町指定)
天然記念物(県指定)
 大杉 (奥の院付近)根回り9.8m 高さ23m
 ぜんまい桜 (同)根回り4.5m 高さ18m
 ブナ社叢林 (  同  )

社頭掲示板



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