神宮裏手にあり。大きい末社。祭神が気比の浜に上陸し、気比大神宮の司祭とこの国の政治を委ねる、その政所の跡地という。 任那(みまな)の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)命をまつっている。 永正3年7月20日、気比宮に火災あり、諸殿・末社悉く焼失した時、当神社一社のみ焼失を冤れた。織田信長が気比宮諸殿に火を放つた時も、当社のみが兵火を冤れ、昭和20年7月12日の敦賀空襲の時にも、当社のみは戦災を免れている。 敦賀の地名はもとは「角鹿(ツヌガ)」と呼称されており、地名発祥の神社でもある。 |
角鹿神社 摂社、祭神都怒我阿羅斯等命、武内社、崇神天皇の御代、任那の王子の都怒我阿羅斯等氣比の浦に上陸し貢物を奉る。天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を委せらる。その政所の跡に此の命を祀ったのが当神社で現在の敦賀の地名はもと「角鹿」でこの命の御名に因る。殿内に宝物獅子頭を安置す。除災招福の信仰が篤い。天保10年松尾大神を合祀、酒造家の信仰が篤い。 公式HP |