気比神宮 土公
けひじんぐう 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】気比神社 七座(並名神大) 越前国 敦賀郡鎮座
          (本社)気比神宮

   【現社名】気比神宮 土公
   【住所】福井県敦賀市曙町
       北緯35度39分20秒,東経136度4分33秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

気比神宮の旧社地とも彦火々出見尊の御陵とも言われている。
気比神宮社域の東北敦賀北小学校校庭に位置している。
土公は神宮の聖地とされており、周囲には卵形の石が八角形にめぐらされている。社伝では、気比神はこの土公に降臨したといい、大宝2年(702年)の社殿造営以前は土公を神籬として祭祀が行われたとする。


気比宮古殿地の事

気比神宮境内東北部に位置し当神宮鎮座にかかる聖地として古来より「触るべからず 畏み尊ぶべし」と社家文書に云い伝えられているが、嘗(かつ)て手筒山の嶺に霊跡を垂れ更に神籬磐境の形態を留める現「土公」は気比之大神降臨の地であり、伝教大師・弘法大師がここに祭壇を設け七日七夜の大業を修したところとも伝えられる。
 土公は陰陽道の土公神の異称で、春は竈に夏は門に秋は井戸に冬は庭にありとされ、その期間は其所の普請等を忌む習慣があったが此の土砂を其の地に撒けば悪しき神の祟りなしと深く信仰されていた。
 戦後境内地が都市計画法に基づき学校用地として譲渡の已む無きに至ったが土公の参道はかろうじてそのままの形で残された。
 大宝2年(702年)造営以前の気比神宮はこの土公の地に鎮座され祭祀が営まれていた。
 この聖域を通して気比之大神の宏大無辺の御神徳を戴くことが出来るよう此のたび篤信者の奉賛により遥拝設備が立派に完成されるに至った次第である。

社頭掲示板



土公(どこう)

氣比神宮境内全域11,253坪。天筒山の方角、神宮北東部に残る「土公」は氣比大神降臨の地とされ当神宮鎮座にかかる聖地である。社殿家屋建立の時、「この土砂を其の地に撒けば悪しき神の祟りなし」と信ぜられる伝説と神秘に富む神代の述霊。古い時代における多くの祭祀の形態は神籬磐境(ひもろぎいわさか)と呼ばれ、大きな岩を中心とした山での祭祀、大木を中心とした森での祭祀など自然の形を損なうことなく祭祀が営まれた。仏教伝来による寺院建築の影響もあり、奈良時代から現代のような社殿を建て祭祀を行うように変化した。当神宮創祀は2,000年以上の神代に遡り、当初は現在の土公の地で祭神を祀ったと云うが、大宝2年(702)朝廷御関係の神々を合祀、現在のような社殿の元が建立され祭祀がなされた。御社殿建立後も土公は当神宮の古殿地として手厚く護られ、平安時代の名僧伝教大師最澄、弘法大師空海は当大神に求法の祈誓をかけこの土公前で7日7夜の大行を修したと伝えられる。

公式HP




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