養老年間(西暦717)、現地の南方八町を距る字大田に奉斎して出田神社(ユヅリタ)と称して当村の産土神であり、今も神廟といって水田中に石祠の古跡保存されていおる。 伝承に、祭神はなべぶたに乗り降臨されたといい、醸造の神、麹の神として崇められたという。 |
由緒 宇奈具志神社由緒略記 一、鎮座地 新潟県三島郡和島村大字島崎4753番地 二、名称 宇奈具志神社 延喜式内社ー元村社(旧 出田明神…尊称 小丹生神社) 三、御祭神 太田命(オホタノミコト) 配祀 素戔鳴尊・大物主命・健御名方命 四、由緒 祭神太田命は猿田彦大神の御別名と申し伝えられ、創立年月日は不詳、延喜式内神社であり、養老年間(西暦717〜1270年前)、現地の南方八町を距る字大田に奉斎して出田神社(ユヅリタ)と称して当村の産土神であり、今も神廟といって水田中に石祠の古跡保存されておる。宝治2年(西暦1248年〜739年前)、現域に遷座申し上げ、寛永7年(西暦1630年〜357年前)、幕府より設楽長兵衛、近山五兵衛を派遣検地の際除地二石附与。延宝6年9月(西暦1630年〜357年前)、設楽孫兵衛検地の際三石七斗七升一合五勺増加附与されたが、明治7年返上する。天和元年(西暦1681年〜306年前)、村大火の際類焼、翌2年11月再建する。文政10年6月(西暦1827年〜160年前)、改築。明治3年、社号を宇奈具志神社と改称、明治6年11月四大区三小区の村社に列せられる。明治39年12月31日、神饌幣帛料供進神社に指定され、明治40年9月25日、同字、天王社、金刀比羅社、諏訪社を宇奈具志神社に合併の義許可され、同41年12月6日、合併し幣殿を造営する。 五、祭祀 例祭4月15日(旧3月15日)現域に遷座せし日を以て例祭日と定める。筒粥祭1月14日往古より伝わる神事で国民の為に五穀の豊凶を占う奉幣式である。六夜待祭8月16日(元、8月26日) 六、境内神社 十二社 祭神大山祇神他十一神。創立宝永7年2月(西暦1710年〜277年前)。例祭6月12日。 神明社(伊勢社) 祭神天照皇大神・月讀尊。創立弘化元年5月(西暦1844年〜143年前)。例祭7月24日。 稲荷社 祭神宇加魂命。創立年月日不詳大正3年8月1日社殿改造。例祭2月初午の日。 七、良寛歌詩 良寛さまが出田宮を詠じたものに次の歌詩がある(境内に建立)。 (詩)いづれの処にか蒸炎を消さん/ひとり愛す出田宮/民々耳に盈(ミ)つる蝉/冷々林を出づる風(歌)みはやしは/いづくはあれど/越路なる/三島の里の/出田の宮 (昭和62年6月吉日宇奈具志神社社務所) 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
走田神社 宇奈具志神社由緒 祭神太田命は猿田彦大神の後裔と申し伝えられ、創立年月日は不詳。尊称小丹生神社延喜式内神社であり、養老年間現地の南方八町を距る字大田に奉斉して出田神社と称して当村の産土神であり、今も神廟といって水田中に石祠の古跡保存されておる。 宝治2年現域に遷座申し上げ、寛永7年検地の際三石附与、延宝6年9月設楽孫兵衛検地の際三石七斗七舛一合五勺増加附与されたが、明治7年返上する。天和元年村大火の際類焼。翌2年11月再建する。文政10年6月改築、明治3年社号を宇奈具志神社と改称、明治6年11月村社に列せられる。 明治39年12月神饌幣帛料供進神社に指定され、明治40年9月同字、天王社、金刀比羅社、諏訪社を宇奈具志神社に合併の義許可され、同41年12月合併し幣殿を造営する。 例祭 4月15日 現域に遷座せし日を以て定める 筒粥祭 1月14日 往古より伝わる神事で五穀の豊凶を占う奉幣式である 六夜待祭 8月16日(元八月26日) 秋季大祭の前夜祭で夜御神輿の巡行があり子供を中心にした弓踊り行列が行なわれる 境内神社 十二社 創立 宝永7年2月 神明社 創立 弘化元年5月 稲荷社 創立年月日不詳 古峯社 創立 明治33年 良寛歌碑 (境内に建立) 詩 いずれの処にか蒸炎を消さん ひとり愛す 出田宮 民々耳に盈(ミ)つる蝉冷々林を出づる風 歌 みはやしは いづくはあれど越路なる 三島の里の 出田の宮 社頭掲示板 |