幡持山(560m)の山頂に「三宅神社奥の院」の石碑が建っている。 |
三宅神社 越の三宅神社二座は、大彦命の御子波多武日子命が新羅の天日鉾命の姫天美明命と婚し、この國の三明山に鎭り、三殿を造つた。三殿とは上の嶺には大彦命・中の嶺には日鉾命・波多武彦命と美明命は陰陽相殿に鎭まる。三宮殿、二柱の神系により三宅神社二座とす。二神の御子三宅眞人武倉麿の館は嶺の中腹の御所平という古跡であり、次に造替の所が今、御所塚どいい、『神名久羅の御所』と称した。上の嶺が今の幡持山、中の嶺が幕山、・北の績が美明山で、総名を神名倉(金蔵山)と唱う。後世上の嶺に座す大彦命を麓に移し、後に妙見と称す。中嶺の日鉾命を的場ケ崎平岡に遷し、後に中片(なかがた)と称す。下の嶺に座す二神を大久保が岡に移し、姓を神瀧谷遽と改む。宇都宮大明神と號す 享保5年(1720)5月、三宅大連當虎書上の「社傳」 |