三宅神社二座は、大彦命の御子波多武日子命が新羅の天日鉾命の姫天美明命と婚し、この国の三明山に鎮り、三殿を造つた。 上の嶺が今の幡持山、中の嶺が幕山、北の峰が美明山 後世上の嶺に座す大彦命を麓に移し、後に妙見と称す。中嶺の日鉾命を的場ケ崎平岡に遷し、後に中片(なかがた)と称す。下の嶺に座す二神を大久保が岡に移し、宇都宮大明神と号した。 市役所から見ると峰が3つ見える、南手前に見えるのが幡持山、中央一番高いのが幕山、北に美明山。 幡持山(上の嶺)には大彦命、幕山(中の嶺)には天日桙命、美明山(下の嶺、北の嶺)には波多武日子命と姫天美明命が祀られた。 後世、大彦命は山麓の妙見に、天日桙命は中潟に、波多武日子命と姫天美明命は大久保が岡(六日市)に遷座された。 幡持山(560m)の山頂に石碑が建っており、「延喜式内 三宅神社奥の院」とある。 |