大神は貞観3年(861)8月3日に彌彦神・居多神と共に従四位下を賜わっている。ついで延喜式に「大神社」と名を連ねているが、その後、歴史上に社名は登場しない。 境内から弥生式土器をはじめ,鉄・石製品、勾玉などが出土しており、この地でなんらかの祭祀がおこなわれていたことを物語っている。 |
天津神社 神社名 天津神社 一ノ宮と俗稱す 祭 神 瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命 境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命 八千矛命を祀る 鎮座地 新潟縣西頸城郡糸魚川町大字一ノ宮 人皇第12代景行天皇の御宇の創設に係り人皇第36代孝徳天皇の勅願所たりと云ひ傳へ延喜式内社の一ならむと推稱せらる 社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れのため此の地に移し造營したりと傳ふ 此の地方は往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ媛と契らせ給へりと云ふ史實と御二方の間に生れましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ遠近を開拓統治し給へりと云ふ傳説とに徴すれば此の地は神代に於て國津神の威武を内外に發揚し給へる重要なる基地たりしを想察するに足る ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは後世天神地祇其の處を換へたるに依るならむか 女神像四體 掛佛 古面 舞楽装束等を秘蔵す 春季大祭は4月10日(昔は3月10日)秋季例祭は10月24日(昔は10月10日)執行せらる。 大祭に神輿渡御の盛儀あり壮観多く匹傳を見ず 舞楽十二曲あり俗に「ちごの舞」と稱し大祭當日演舞せらる百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を豪壮極りなき神事の後に拝するは對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭の名を檀にしたる所以も亦茲に存するか 陵王 大納蘇利 拔頭 能拔頭の舞面は明治11年9月明治天皇の北陸御巡幸に際し行在所に於て天覧に供したり 神社は藩政當時朱印一百石を寄進せらる 大正7年郷社に列せられ昭和18年3月縣社に列せらる 昭和20年7月 天津神社社務所 社頭掲示板 |
天津神社 指定文化財一の宮 天津神社 奴奈川神社 天津神社舞楽(稚児舞)12曲 国指定 (重要無形民俗文化財)昭和55年1月28日 4月10日(けんか祭)・同11日(後祭)に奉納 昔から稚児舞と愛称され、この地方独特の舞楽として注目される。 木像 奴奈川姫神像 一躯 平安時代後期作 県指定(彫刻 彩色座像45cm)昭和29年2月10日 双髷(そうけい)・垂髪・拱手(きょうしゆ)など、上古の風で、顔容もまた女神像らしく温和・清澄、古代の奴奈川姫を想察させる。 木像 女神座像 三躯 平安時代後期作 県指定(彫刻彩色座像 45cm)昭和56年3月27日 奴奈川姫神像 同様の作で、この神社の歴史の古さおよびこの地方文化の高さを証する貴重な文化財でもある。 舞楽面 3面 附5面 陵応(りょうおう) 1面 鎌倉時代後期 作 納曽利(なそり) 1面 同 抜頭(ばとう) 1面 室町時代後期 作 附3面 能抜頭(ばとう) 納曽利(なそり) 安摩(あま) 児納曽利 (ちごなそり) 県指定(彫刻) 昭和56年3月27日 古舞楽面の優作でそれぞれに製作年代の差を示すがこの社の舞楽の歴史をも証する。附は江戸時代の作で参考となる。 木像 奴奈川神社随神像 2躯 室町時代初期 作 木像 天津神社随神像 2躯 室町時代後期 作 市指定(彫刻)昭和47年3月25日 両社の本殿の両側に座して、神前を守護する神像で天津神社の方は天文9年(1540)の墨書銘があって貴重 天津神社大懸仏 2面 室町時代中期 作 市指定(鋳金)昭和48年3月26日 石像 如来座像 1躯 鎌倉時代後期 作 市指定(彫刻)昭和55年4月22日 大懸仏(おおかけぼとけ)の■板(径91cm)には文安6年(1449)の墨書銘があり、石仏と共に神仏混淆時代を示す。 昭和58年(1983)3月10日 糸魚川市教育委員会 天津神社 社頭掲示板 |