布勢神社
ふせじんじゃ
雄山神社 東本殿 若宮 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】布勢神社 越中国 新川郡鎮座
          (雄山神社)雄山神社

   【現社名】雄山神社 東本殿 若宮
   【住所】富山県中新川郡立山町芦峅寺
       北緯36度34分59秒、東経137度23分34秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】宝永5年(1708)6月18日の洪水で流失

   【関係氏族】
   【鎮座地】宝永5年(1708)6月18日の洪水で流失若宮神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが、宝永5年(1708)6月18日の洪水で流失し芦弁寺がこの神社を引きとつたという。
現在も芦弁寺にあり、若弁寺雄山神社の境内社若宮神社に合祀という。


若宮社殿

立山町指定建造物
若宮社殿
昭和39年6月11日指定
文武天皇の大宝元年(701)越中国司佐伯宿祢有若卿の嫡男有頼少年が白鷹と熊に導かれ霊峰立山を開かれた。勅命により山麓芦弁の地に、立山雄山神を奉斎する根本中宮を始め、壮大なる神社仏閣が建立された。
若宮社殿は文治元年(1185年)に鎌倉幕府が大内冠者惟義に命じて造営したと伝えられている。現在、天正16年(1588年)3月吉日大和国宇陀郡平臣加藤清○の棟札が残されているので、この当時に修理を加えたと考えられている。間口2.73m、奥行4.69mの一間社流造で、明治初年に本殿の老朽化が著しく自立が危うくなったため、本殿の外側に全体を覆う軒支柱が造られた。
また、現在は銅板葺きであるが、当初は柿葺きであった。
若宮社殿には佐伯氏の祖稲背入彦命・佐伯宿祢有頼命が祀られており、足利将軍義植公の祈願奉幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将名門の尊崇厚く、大願成就、必勝不敗、災難除けの神として信仰されている。
立山町教育委員会

社頭掲示板



越中国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA