建石勝神社から約1km東にいつたところに「立石大権現」といわれた旧跡がある。 |
建石勝神社 延喜式内 建石勝神社御由緒と沿革 当社は平安時代の延喜式神名帳に記載のある、県内でも数少ない式内社である。旧社格は郷社として高い誇りを持つ。この郷開拓の昔から、開運と産業発展の守護神である武甕槌命を御祭神として篤い尊崇を捧げてきた。神話では天孫降臨に際し、出雲の王者大国主命と戦わずして降伏させたので、武道の神としても有名である。 天正年間まで別当を設置し、祠官二名、その他巨額の社領などがあったという。戦国時代、越後の国主長尾謙信が越中攻略の際、社殿などことごとく兵火にかかり、その後中絶していたが、天保11年、現在地に再建した。 昭和9年、本殿を再建。昭和50年、神社本庁神社振興対策指定神社となる。 平成4年、建設省の一般国道八号線バイパス事業により、境内地を一部変更。それを機に社殿を新築、境内を整備し、造営事業を完成した。 社頭石碑 |
建石勝神社 當社は延喜式内社であり、天正年間まで別當を設置し、祠官二名、其の他巨額の社領などを有してゐた。その別當には大日坊、宝橦坊、、彌勒坊、藥師院、大藏坊、金剛坊、珠宝坊があつた。中古越後の長尾謙信が越中攻略の際社殿等は悉く兵焚に罹りその後中絶してゐたが、現在の地にやがて再建され、今に至つてゐる。該社の記録は當村にある往古沿革図面の裏に詳に記されてはゐるが、虫魚のため字句は判明しない。明治6年郷社に列せられた。 神社明細帳 |