副河岳(神宮寺岳)には副川神社が祭られていたが、のち山頂六間×七間の社地に二間四面の社殿を持つ六所明神「稻倉魂神、五十猛命、金山毘古命、高彦根命、大己貴命、事代主命」を祭る。 中世には修験道の影響で観音信仰や八幡信仰の場となり、本来の祭神が忘れ去られていた。 神宮寺岳は、雄物川に河幅の広い支流玉川が流入する水量豊かな地点に河岸から直接立ち上がつた円錐の形よい山で、標高は281mにすぎないが、相当の急な斜面を持つていて、「副川」を名とする古代の神奈備山に極めてぴつたりした山容を備えている。 |
嶽六所神社 延喜式神名帳に出羽九座の中、山本郡副川神社が現在の神社という。 大宝元年藤原不比等公奏聞して開いた。 同2年瀬戸村(旧神宮寺村名)斎藤安房守六神をこの神岳の頂上に安置し、六ッの堂を建立して副川神社の本社とした。 大同2年田村麻呂東征に、将軍の信仰篤い八幡大神を相殿として祀ったとも、一説に正徳4年藩主義格公、南部藩と境界議論の都合により臨時山本郡高岳山(南秋田郡)に遷したともあり、又藩主副川神社鎮座地尋ねた時、神宮寺にありとも云々とある。 相殿八幡社が武人に尊まれた為に副川の名が隠れたとも。 宝物として神像一体あるが現在不明。 安永5年浅利大賢という神学者巡詣の折、像体を宮殿に納むるは神の式にないと投落したという。 その一体を拾い上げたものである。 現在の社殿は昭和40年代に一部鉄骨づくりに改築した。 秋田県神社庁 |