八幡神社
はちまんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】副川神社 出羽国 山本郡鎮座
          (嶽六所神社=本宮)嶽六所神社

   【現社名】八幡神社
   【住所】秋田県大仙市神宮寺神宮寺33
       北緯39度29分26秒、東経140度25分51秒
   【祭神】保牟多和氣命 加句槌命
   【例祭】
   【社格】旧県社
   【由緒】大同2年(806)坂上田村麻呂が建立
       寛永3年(1706)造営
       明治4年7月郷社
       同14年10月22日県社
       同39年9月28日神饌幣帛料供進神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿権現造
       幣殿・神門・拝殿・宝藏

   【境内社】神明社・稲荷神社
   【別当】真言宗華藏院

雄物川を挟んで、南東1Kmにある神宮寺岳(281m)山頂にある嶽六所神社の里宮という位置づけである。
江戸期式内社調査の際に、古代山本郡内に当たる仙北郡のうち神宮寺八幡が古代副川神社のあとであることを茂木奉行は認識していた。


八幡神社

八幡神社は大同2年(806)坂上田村麻呂が建立したといわれている。現在の社殿は寛永3年(1706)に建てられたが、拝殿は明治12年に改築されたものである。応神天皇と火具土神を祀り、棟札をはじめ数点の宝物が町の文化財に指定されている。平成元年に社殿改修奉賛会が設立され神社の改修工事が施工された。

社頭掲示板



八幡神社

或る説に大宝元年創建という。
 大同2年田村麻呂将軍が秋田男鹿寒風山に住む大猛丸退治に下向の折、神宮寺にて兵を募り、首尾退治の時は社殿新築する旨祈請し、帰陣の際当村へ家徒の中普請係を残し、字隠里という所に神社建立して、永久社守として6人を付置き、現在も続いている。
 寛治3年八幡太郎義家公奥羽征伐の折、当社信奉し軍功あり、帰陣の際多数奉納するも現存は、「八幡大菩薩(一流)」「七僧一二天の仏画(唐の顔躯筆)のみである。
 後社伝によればに、源頼朝再件、戸沢上総之助再建とある。
 佐竹公水戸より遷封されてより累代の崇敬社となり、社領30石賜わり江戸往復時に必ず参拝する。
 現在の本殿は宝永3年義格公再建であり、安永年間の大洪水にて川欠多くの家流失し、危険となり現在地に遷座する。
 幣殿拝殿は明治12年建立す。
 明治4年郷社に列し、同14年10月県社に列する。
 同39年神饌幣帛料供進神社に指定される。
 大正3年愛宕神社合祀する。
 平成元年3月に、社殿改修奉賛会設立され、神社大改修工事施行し、11月完成を見る。

秋田県神社庁



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