保呂羽山(438m)頂に本殿があり、山麓に拝殿(里宮)と神楽殿がある。 |
波宇志別神社 かご立場 佐竹藩のおとの様は、保呂羽山の神様を深く信仰していました。 お参りに来たときは、この場所でかごをおりて、歩いて登ったと言われています。ここから山が険しくなってきます。 下居堂 昔、保呂羽山は、女の人は登ってはいけない山とされていました。そのため、女の人たちは、この下居堂で神様をお参りしたと言われています。 下居堂には辰年・巳年生まれの人の守り神がまつられています。 子守り石 昔、保呂羽山は、女の人が登ってはいけない山でした。 あるとき、子守りに夢中になった女の人が、ついつい山道に足をふみ入れてしまいました。そのため、神様のいかりにふれ、石にされたと言われています。 子どもを背負っている女の人に見えますね。 一夜盛 この周辺は、東側(右側)が佐竹藩、西側(左側)が亀田藩の領地になっており、峰を境に領地が分けられていました。 ここは、領地を広げようとした佐竹藩が、峰境に土を盛り、峰を一続きにした場所です。村人を集め、一晩で峰続きにしたという謂から「一夜盛」の名前が付けられました。 岩割りの木 その昔、岩のくぼみに落ちた小さな種は、わずかな割れ目に根をのばし、成長を続けました。それから、種は岩を割り、何百年も経て、大地にしっかりを根をはった立派なブナの木になりました。 残念なことに、二本のうちの一本は、平成12年の大雪で折れてしまいました。 社頭掲示板 |
保呂羽山 保呂羽山は、出羽山地の中でも三角形をした目立つ山で、古くから山岳信仰の霊地として知られている。昔、この山に、たくさんの鷹が飛んでいたので、「保呂羽山」と名付けられたという。 山頂には、「波宇志別神社本殿」がある。この神社は、奈良時代天平宝字元年(757)創立と伝えられ、「延喜式神名帳」に載る式内社である。波宇志別神とは、農業の神様だとも言われている。 仏教が広まると、神仏習合の教えから、この山は山伏が修行する「修験の山」となった。 江戸時代、秋田藩主佐竹氏は、保呂羽山に対する信心が厚く、この神社に参詣した。 大森町屋敷台から保呂羽山に登る参道は、「表参道」と呼ばれた。 その頃、保呂羽山は、秋田藩八沢木村と亀田藩羽広村との藩境にあったので、「境界争い」が百年以上も続いた。 文化10年(1813)、両者が立ち会い、「境塚」を14ケ所築き、争いは幕を閉じた。 駐車場近くの「蟹沢頭の境塚」も、その一つである。 平成24年10月大森町郷土研究会 社頭掲示板 |