保呂羽山波宇志別神社
はうしわけじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】波宇志別神社 出羽国 平鹿郡鎮座
          (里宮)保呂羽山波宇志別神社

   【現社名】保呂羽山波宇志別神社
   【住所】秋田県横手市大森町坂部
       北緯39度22分16秒,東経140度18分37秒
   【祭神】安閑天皇
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

保呂羽山(438m)頂に本殿があり、山麓に拝殿(里宮)と神楽殿がある。


波宇志別神社

かご立場
 佐竹藩のおとの様は、保呂羽山の神様を深く信仰していました。
 お参りに来たときは、この場所でかごをおりて、歩いて登ったと言われています。ここから山が険しくなってきます。
下居堂
 昔、保呂羽山は、女の人は登ってはいけない山とされていました。そのため、女の人たちは、この下居堂で神様をお参りしたと言われています。
 下居堂には辰年・巳年生まれの人の守り神がまつられています。
子守り石
 昔、保呂羽山は、女の人が登ってはいけない山でした。
 あるとき、子守りに夢中になった女の人が、ついつい山道に足をふみ入れてしまいました。そのため、神様のいかりにふれ、石にされたと言われています。
 子どもを背負っている女の人に見えますね。
一夜盛
 この周辺は、東側(右側)が佐竹藩、西側(左側)が亀田藩の領地になっており、峰を境に領地が分けられていました。
 ここは、領地を広げようとした佐竹藩が、峰境に土を盛り、峰を一続きにした場所です。村人を集め、一晩で峰続きにしたという謂から「一夜盛」の名前が付けられました。
岩割りの木
 その昔、岩のくぼみに落ちた小さな種は、わずかな割れ目に根をのばし、成長を続けました。それから、種は岩を割り、何百年も経て、大地にしっかりを根をはった立派なブナの木になりました。
 残念なことに、二本のうちの一本は、平成12年の大雪で折れてしまいました。

社頭掲示板



保呂羽山

保呂羽山は、出羽山地の中でも三角形をした目立つ山で、古くから山岳信仰の霊地として知られている。昔、この山に、たくさんの鷹が飛んでいたので、「保呂羽山」と名付けられたという。
山頂には、「波宇志別神社本殿」がある。この神社は、奈良時代天平宝字元年(757)創立と伝えられ、「延喜式神名帳」に載る式内社である。波宇志別神とは、農業の神様だとも言われている。
仏教が広まると、神仏習合の教えから、この山は山伏が修行する「修験の山」となった。
江戸時代、秋田藩主佐竹氏は、保呂羽山に対する信心が厚く、この神社に参詣した。
大森町屋敷台から保呂羽山に登る参道は、「表参道」と呼ばれた。
その頃、保呂羽山は、秋田藩八沢木村と亀田藩羽広村との藩境にあったので、「境界争い」が百年以上も続いた。
文化10年(1813)、両者が立ち会い、「境塚」を14ケ所築き、争いは幕を閉じた。
駐車場近くの「蟹沢頭の境塚」も、その一つである。
平成24年10月大森町郷土研究会

社頭掲示板




出羽奥国INDEXへ        TOPページへ

学校DATA