出羽神社(出羽三山神社)
いではじんじゃ 所在地 社名
























   【延喜式神名帳】伊氐波神社 出羽国 田川郡鎮座
   【延喜式神名帳】月山神社(名神大) 出羽国 飽海郡鎮座
          (合祭)月山神社

   【現社名】出羽神社(出羽三山神社)
   【住所】山形県鶴岡市羽黒町手向向山
       北緯38度42分9秒、東経139度58分52秒
   【祭神】月讀命 伊弖波神 稻倉魂命 大己貴命 少彦名命 大山祇命
   【例祭】7月15日 例大祭
   【社格】旧国幣小社
   【由緒】第12代景行天皇の世に祀られた
       建久4年(1193)源顧朝土肥實平に命じて黄金堂を建立
       承元3年(1209)地頭大泉氏平が寺領横領
       明治6年出羽神社は国幣小社
       同7年羽黒山に出羽神社と併せて月山及び湯殿山神社の社務所を置く

   【関係氏族】
   【鎮座地】式内出羽神社はこの地に鎮座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 出羽三山神社
   【社殿】本殿
       茅葺屋根としては我國最大の建造物
        本殿の正面には月山、向つて右に羽黒山、左に湯殿山の神々を祀る
       拝殿・五重塔・鐘楼

   【境内社】
   【境内図】 境内図

式内出羽神社はこの地に鎮座していた。
中世月山は羽黒山・湯殿山とともに出羽三山と称され、羽黒修験の霊場となつた。
出羽三山神社とは、月山頂上に月山神社、羽黒山頂に出羽神社、湯殿山の中腹に湯殿山神社が夫々鎮座されていますが、三つの神社を合わせて通称「出羽三山神社」といっています。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿」と称し、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われます。


出羽三山神社
月山神社出羽神社湯殿山神社(出羽三山神社)
出羽三山神社参拝の栞
信仰の山・精霊の山・修験の山―国立公園・出羽三山
涼しさやほの三か月の羽黒山、雲の峰幾つ崩て月の山、語られぬ湯殿にぬらす袂かな、有難や雪をかほらす南谷・松尾芭蕉『おくのほそ道』其玉や羽黒にかへす法の月・芭蕉、元禄2年(1689)盛夏出羽三山登拝の折認める「天宥別当追悼句文」
日本人の源郷(げんきょう)・出羽三山は、千四百有余年の歴史と伝統をもつ我が国有数の信仰のお山であり「羽黒派古修験道(はぐろはこしゅげんどう)」の道場です。
●出羽三山とは-出羽国(でわのくに)(山形県など)にある月山(標高1984m)、湯殿山(同1504m)、羽黒山(同414m)の三つのお山の総称で、三の数字は古来“聖数”とされ全国にその例は数多(あまた)あります。
●出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ)とは-月山頂上に月山神社、羽黒山頂に出羽(いでは)神社、湯殿山の中腹に湯殿山神社が夫々鎮座(ちんざ)されていますが、三つの神社を合わせて通称「出羽三山神社」といっています。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」と称し、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われます。
●三山神社の御祭神は-月山神社は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御弟神であられる月読命(月読みの命)、出羽神社は出羽国の国魂(くにたま)であります伊弖波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。他に広大な神社境内には、百一末社(まっしゃ)と総称される神々の社(やしろ)があって八百万(やおよろず)の神々が祀られています。
●御開山の年と御開祖は-今を去る千四百余年前の推古天皇元年(593)に、第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が、奈良の都からはるばる日本海を北上しこの地においでになり三本足の霊烏(れうう)の導きにより羽黒山を御開山され、次いで月山と湯殿山を開かれました。当社では蜂子皇子を「御開祖」と敬仰(けいぎょう)し、平成5年(1993)が開山の年から数えて1400年に当ることから盛大に「御開山1400年祭」を執り行い、年間を通してさまざまな奉祝記念行事や事業を行いました。
●出羽三山神社の歴史と信仰は-御開山千四百余年、という類稀(たぐいまれ)な永い歴史と伝統をもつお山だけに時代によりさまざまな変遷がありました。そもそも出羽三山神社は自然崇拝、山岳信仰の“古神道”から発した神社ですが、平安時代の初め仏教の強い影響を受けて「神仏習合(しゅうごう)」し、明治維新の「神仏分離(しんぶつぶんり)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」まで真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され鎌倉時代には「八宗兼学(はっしゅうけんがく)のやま」とも称されました。その為出羽三山信仰は他に例を見ない“多様にして限りなく深い信仰世界”を今に育(はぐく)み、「東(ひがし)三十三ケ国総鎮護」として篤く尊崇(そんすう)されています。
主な参拝所と見どころ
●羽黒山-特別天然記念物・羽黒山表山道(2446段の石坂)杉並木(1.7Km)/須賀滝(すがのたき)/天然記念物・爺杉(じじすぎ)/国宝・羽黒山五重塔/史蹟・南谷(みなみだに)(芭蕉逗留地)/斎館(さいかん)(茶室など)/蜂子神社/三神合祭殿と鏡池(かがみいけ)/羽黒山霊祭殿/重要文化財・建治の大鐘/御開祖・蜂子皇子墓/天宥社(てんゆうしゃ)/出羽三山歴史博物館(羽黒鏡、芭蕉資料、出羽三山資料など多数。4月下旬~一月23日まで。有料)/吹越(ふきごし)神社と吹越篭堂(こもりどう)(山伏修業)
●月山(7月1日~9月中旬)-月山中宮(なかのみや)/東補陀落(ひがしふだらく)/御浜池(おはまいけ)/仏生池(ぶすいけ)/行者返し(ぎょうじゃがえし)/塞の河原(さいのかわら)/月山神社本宮(御室)(おむろ)/月山神饌池(しんせんいけ)/月山一帯の高山植物群落(お花畑)
●湯殿山(4月下旬~11月上旬)-湯殿山神社本宮大鳥居(仙人沢)/行人塚(ぎょうにんづか)/仙人沢参篭所(せんにんざわさんろうじょ)/御沢掛け(おさわがけ)(巡拝)/御滝神社/湯殿山神社本宮巡拝/齋藤茂吉歌碑/湯殿山月光坂(がっこうざか)
俳聖・芭蕉と出羽三山
元禄2年(1689)盛夏、俳聖・松尾芭蕉は「奥の細道」行脚(あんぎゃ)の途次(とじ)、羽黒山南谷(みなみだに)などに七泊し出羽三山を登拝して念願の“奥詣で(おくもうで)”をはたされ、山内で蕉風の真髄・「不易流行」説を感得(かんとく)しました。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




出羽三山

出羽三山の沿革【悠久の歴史に育まれた限りなく深い信仰】
 出羽三山とは、山形県(出羽国)にある月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称です。
 月山神社は、天照大神の弟神の月読命(つきよみのみこと)を、出羽神社は出羽国の国魂である伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)の二神を、湯殿山神社は大山祗命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀っています。月山と湯殿山は冬季の参拝が不可能であることから、羽黒山頂に三山の神々を合祭しています。また広大な山内には百八末社といわれる社があって、八百万(やおろず)の神々が祀られています。
 出羽三山は元来、日本古来の自然崇拝の山岳信仰に、仏教・道教・儒教などが習合に成立した「修験道」のお山でした。それ故、明治維新までは仏教の、真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され、鎌倉時代には「八宗兼学の山」とも称されました。悠久の歴史の中で幾多の変還を重ねながら、多様にして限りなく深い信仰を形成し、「東三十三ヶ国総鎮護」として、人々の広く篤い信仰に支えられて現在に至っています。
「式内社」で、「官・国弊社」の出羽三山神社
 よく識られているように、神社にはかつて、崇敬上の規準、待遇上の序位などから、国、または公的機関が定めた“社格”があった。  特に明治政府によって行われた「神仏分離政策」以後、昭和21年(1946)2月1日まで護持された“国家神道”下では、月山神社が「官幣大社」に、出羽神社と湯殿山神社がそれぞれ「国幣小社」に列格された歴史がある。
 しかし、昭和21年(1946)2月3日に発令された『国家神道廃止命令』によって、実質、出羽三山神社は“官・国幣”の社格はもちろん、国家管理を離れ、一宗教法人として新しく出発したのである。
 しかし、長い期間庶民の間に培われてきた出羽三山神社の大神に対する崇敬の念にはいささかも変化はなく、御神威はいよいよもって高まってきている。
 また、これより先「月山神」は、社格制度が集大成されたとされる『延喜式』(平安時代中期、醍醐天皇の命により律令の施行細則をまとめたもの。50巻。延喜5年・905年に編纂開始、927年完成)の「神名帳」(延喜7年)に、庄内地方の大物忌神(鳥海山)、由豆佐売神(鶴岡市湯田川)等ともども、出羽国の“名神大社”として登載されている。
 また、伊氏波神(出羽神社)は“名神小社”として初めて「史書」に登場する。
 後世これを「式内社」と称し、一つの社格“古社”の証にしている。
 また、「六国史」の第六番目の史書『三代実録』(宇多天皇の勅撰史書)等によれば「月山神」は、朝廷からたびたび位階勲等を賜っている。
※例えば
 ●貞観6年2月(864)_____従三位、勲五等
 ●貞観18年8月(876)____正三位
 ●元慶元年7月(877)_____封二戸増し四戸
 ●元慶元年8月(877)_____勲四等
 ●元慶4年2月(880)_____従二位、勲三等
 ●延喜7年(907)________名神大社
と、いうように、およそ17年間にこれだけの神の等級を進められたのである。このことは、いかに朝廷が「月山神」(月山神社)を篤く崇敬されたかを識る上で貴重な記事であるが、それはとりもなおさず当地方の民衆の崇敬の念の深さを繁栄しているといってよい。もちろん各種の「史書」は記述しているように、当時の庄内地方の社会は、政治的事情と深く関わっているということは言うまでもないことである。

公式HP



出羽三山神社

三神合祭殿
月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿。厚さ2.1mの茅葺の屋根。総漆塗の内部など、その全てに迫力があって見ごたえ充分、前方の鏡池は、神秘の御池として古来よリ多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあった。平成12年国の重要文化財に指定。
羽黒山と杉並木
参道の石段は2446段、途中の石段に盃やひょうたん、蓮の花などが33個彫られているといわれ、これを全部見つけた人は願いがかなえられるという。また、両側には特別天然記念物の鬱蒼とした杉並木が続いている。
国宝羽黒山五重塔
羽黒山一の坂上り口の杉並木の中にある。東北地方では最古の塔といわれ、平将門の建造と伝えられている。高さ29m、三間五層柿葺木造の現在の塔は、約600年前に再建されたものといわれ、昭和41年には国宝に指定されている。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉「爺杉」がある。

社頭掲示板



出羽三山神社

由緒
御祭神
月山神社 月山頂上鎮座 1984m
 月読命 天照大神の弟神
出羽神社 羽黒山頂鎮産 414m
 伊氏波神
 稲倉魂神 
 食物を司どる祥
湯殿山神社 湯殿山頂 1504m
 大山祇命 各地の山を管理する神
 大己貴命 國土経営開拓の神
 少彦名命 医療医薬酒造の神
三神合祭殿 羽黒山の出羽神社に月山湯殿山の大神を合祭して三神合祭殿という、年間の諸祭典は総てここで行う。
沿革
月山、羽黒山、湯殿山を総称して出羽三山という、推古元年(593)第32代崇峻天皇の皇子蜂子皇子開山である。この山は元来自然崇拝山岳信仰の古神道から発したもので明治維新までは神仏習合の山として栄え信仰区域も当神社33ヶ国総鎮護として広く朝野の尊崇を集めた、今日にあっても行の山浄めの山開運出世の山として信仰が篤く年間を通しての参拝者は180万人に及んでいる。
主要祭事
例祭(花まつり)7月15日 神輿の渡御あり(羽黒山頂)
春祭(祈年祭)5月8日 御田植神事あり
秋祭(新嘗祭)11月23日 収穫祭
松例祭(歳夜祭)12月31日 天下太平 五穀豊穣を祈って雪中の神事あり
特殊神事と蜂子神社例祭
八朔祭 8月31日夜 羽黒山山伏による柴燈祭(火祭)執行
田面祭 9月1日八朔祭に引き続き五穀豊穣を祈っての神事
峯中 自8月26日 至9月1日 羽黒山内吹越堂て行う山伏の秋の峰修行

社頭掲示板



出羽三山神社

鏡池
この池は御手洗池(みたらしのいけ)といい古鏡が多数埋納されていたので鏡池ともいう。
今までに500面以上の出土をみたが、現在、神社の博物館に190面が収蔵されている。
これは平安から鎌倉時代に行われた池中納鏡の信仰によるものである。
殆どが青銅鏡で時代別にみると、平安91面・鎌倉46面・室町2面・江戸3面・時代不詳37面である。
出羽三山の信仰を物語る貴重な資料で、現在重要文化財に指定されている。

社頭掲示板



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