古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。2世紀(遅くとも4世紀)に表津宮(底津綿津見神)が現在地勝山に遷座、あわせて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀(ほうし)されたと伝えられる。 |
仲津宮古墳 この古墳は、7世紀ごろ(古墳時代)に造られたもので、勝馬(かつま)を基地とした海人集団の首長の墓と考えられています。この古墳は円墳で、円丘の径7m、高さ1.5mの大きさをもち仲津宮の前庭に位置しています。 埋葬はまず、長さ約3.8m、幅約2.8mの長方形の縦穴を掘り、その中に平たい石を用いて、4段以上に組み石室を造り(縦穴系石室)、少なくとも5体の埋葬が行われていたと考えられます。 石室の床面には、須恵器の浅底のお椀のようなもの(坏身、坏蓋)、須恵器の壺、鉄鏃、鉄矛、刀子、鉄斧などの鉄器、表面に銀をはった金属製の耳環、ガラス製管玉、小玉などが埋葬されていました。 1997年3月 福岡市教育委員会 社頭掲示板 |