筥崎宮
はこざきぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】八幡大菩薩筥崎宮(名神大) 筑前国 那珂郡鎮座

   【現社名】筥崎宮
   【住所】福岡県福岡市東区箱崎 1-22-1
       北緯33度36分52秒、東経130度25分24秒
   【祭神】応神天皇 (配祀)神功皇后 玉依姫命
   【例祭】 9月12-18日 仲秋祭
   【社格】旧官幣大社 筑前国一宮
   【由緒】延喜20年(921)託宣で筥崎に新宮を営む
       永承6年(1051)石清水八幡宮別當清成筥崎大検校職補任
       文禄元年(1592)豊臣秀吉宮崎宮領に惣高千石
       文永11年(1274)造営
       弘安3年(1280)造営
       永享6年(1434)造営
       明応元年(1492)造営
       享緑2年(1529)造営
       天文15年(1546)大内義隆の建立
       明治5年4月県社
       明治18年4月官幣中社
       大正3年正月官幣大社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は筑前国穗波郡に八幡宮(大分宮)があった
        延喜20年(921)託宣で筥崎に新宮を営む

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 筥崎宮
   【参考HP】 田村 靖邦
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       拝殿・楼門・社務所

   【境内社】稲荷社・住吉殿・乙子殿・武内社・池島殿・民潤社・厳島殿
        仲哀殿・若宮殿・龍王社・玉取恵比須社・宇佐殿・沖浜恵比須神社

   【境内図】 境内図

弘仁・貞観式の時代には筥崎宮の名はなく、少なくとも貞観式には大分八幡宮(飯塚市大分)が記載されていたと考えられる。その場合、「八幡大菩薩大分宮」とではなく、単に「八幡神社」と記入されていたのであろう。
延喜20年(921)託宣が下り、筑前穗浪の大分宮では三悪があるため放生会の頓宮のあつた筥崎に新宮を営むよう大宰少武に告げられた。


由緒

筥崎宮は、日本三大八幡宮の一つで、その創建の時期については諸説があり断定する事は困難である。延喜21年(西暦921)神のおつげにより醍醐天皇は「敵国降伏」の宸筆を下され、大陸、玄界灘に面して壮麗なお宮が建立され、延長元年(西暦923)大分宮(穂波宮)よりこの宮に遷座されたことになっている。この地は大陸に近く古くから文化の開けた地であった。特に海外との交流の門戸であり護国の要衝でもあった。深遠な御神慮がしのばれる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




筥崎宮

祭神
応神天皇(おうじんてんのう)[八幡大神]
神功皇后(じんぐうこうごう)[応神天皇の母君]
玉依姫命(たまよりひめのみこと) [海の神・神武天皇(じんむてんのう)の母君]
由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命をお祀りしています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
宸筆
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会 大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。 縦横約18センチで全部で三十七葉あります。
社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があります。特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名で、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものが掲げられています。

公式HP



筥崎宮

延長元年(923年)に創建された筥崎宮は宇佐八幡、石清水八幡宮とともに日本三大八幡のひとつで、応神天皇、神功皇后、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神としています。
そして、西暦927年に編さんされた延喜式神名帳に記載されている、いわゆる「式内社」です。
現在の本殿と拝殿は大内義隆により天文15年(1546)に、楼門は小早川隆景により文禄3年(1594)に建立されたものです。それと黒田長政が慶長14年(1609)に寄進した一ノ鳥居、九州征討に従軍した千利休が天正15年(1587)に奉納したと伝えられている石灯篭などが国指定重要文化財になっています。
千利休が奉納した石灯籠は本殿右奥にあり正面からは、わずかに見える程度ですが、正月や祭りの期間は本殿そばまで行けます。
 日本に捕らわれた唐人の祖慶官人(そけいかんにん)は日本人妻と結婚し筥崎宮に仕え二人の子供がいましたが、唐に残した子供二人が迎えに来たので筥崎殿はこれを憐れみ日本で生まれた子供も連れて帰る許可を出しました。別れの時に祖慶夫婦が別れを惜しんで座ったのが「夫婦石」、唐の子供が父が死んでいたら建てようと思って持ってきたのが「唐船塔」です。
それ以外に文永11年(1274)に蒙古軍が900隻の艦船で攻めてきた元寇の役のときの船の碇(いかり)石や、石にふれると運が湧き出るといわれる招福開運の「湧出石」などいろいろ境内にあります。
また、手水舎(てみずしゃ)近くにお潮井(真砂)があります。箱崎浜はお潮井浜とも呼ばれ、この浜の砂を博多では清めの砂として用いる習慣があります。このお潮井(真砂)をてぼ(籠)に入れ玄関に備えて外出の時に身に振りかけ災厄(さいやく=災難)からのがれる事を祈ります。

http://www.yado.co.jp/tiiki/fukuoka/hakozaki/hakozaki.htm



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