筥崎宮
はこざきぐう


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【放生会】

春の博多どんたく・夏の博多祇園山笠とならび博多三大祭りに数えられる筥崎宮放生会は「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りです。その起源は「合戦の間多く殺生すよろしく放生会を修すべし」という御神託によるもので、千年以上続く最も重要な神事です。また、一年おきに福岡市無形民俗文化財指定の御神幸(御神輿行列)が行われ、七日間の期間中は参道一帯に数百軒の露店が立ち並ぶ、九州随一の秋祭りです。
放生会供養祈願祭:私たちの生命は、他の生命の犠牲の上に成り立っています。日頃は意識することは少ないですが、これら物言わぬ生命のおかげで、私達は生かされています。筥崎宮・放生会供養祈願祭は、あらゆる生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げるとともに、さらなる商売繁盛、家内安全を祈る神事です。期間中は、やむを得ず殺生した生き物や、家族同様に生活したペットなどの霊(みたま)祭りなどを受け付けております。

公式HP



【由緒】

筥崎宮 はこざぎぐう 輻岡市東区箱崎町。旧宮幣大社(現、別表神社)、筥崎八幡宮ともいう、博多湾に臨み玄海灘に面している。
歌名所千代の松原に建つ。祭神応神天皇誕生の際胞衣を筥に納めてこの地に埋め、しるしの松を植えて標松・筥社と呼び、箱崎の地名となった。天皇のほか神功皇后・玉依姫命を祀る。天平宝字3年(759)八幡神の神託をうけて創祀したと伝える。同宮縁起には、延喜21年(921)託宣に従い大分別宮より勧訪したとある。『延喜式神名帳』に八幡大菩薩筥崎宮を名神大社とし、同式臨時祭の条に筑前国八幡神宮とある。
筑前国一の宮で、上下の尊崇の極めて篤い社である。特に著名なのは敵国降伏の神として香推宮、住吉神社とならんで西海に対し、神威を発揮したことである。太宰府に新羅の進攻を防護するため神威を頼み、後白河天皇は、石清水八幡宮の別宮として特に尊崇した。鎌倉時代の文永・弘安の役にに戦火に遭い、外寇の際この地はしばしば災害の中心になった。文永の役後社殿の再建があったが、建治元年(1275)正遷宮に際し、亀山上皇は敵国降伏の四字を紺舐に金泥をもって謹書し、37枚を納めた。神宝として今に残り、楼門の扁額は世に知られている。社伝では醍醐天皇の宸筆ともいう。
社殿は西方に向かい、西海防護の神意を示している。本殿は流造、拝殿は切妻造で天文15年(1546)、楼門は入母屋造で文禄3年(1594)の再建、その前の石造筥崎鳥居、千利休奉納の石燈籠、以上みな、重要文化財の建造物である。例祭を放生会といい、9月12日より18日まで諸祭事があり、隔年に神幸式を行う。正月3日の玉取祭は玉せせりの名で知られ、雌雄二個の玉を奪い合いながら本宮に運び込む年占神事である。明治になりて菩薩号を廃し、官幣大社に列した。
当宮の分祀は、文永・弘安の役に従った島津久経が薩摩〔出水志上知識)、大隅(姶良那古松)に国境守護のため筥崎八幡神社を建てたのが有名である。

神社辞典






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