古くは現・御井小学校「伊勢の井」付近にあったが、元禄年中(1688-1703)この地に遷。 明和4年(1767)高良山の半腹に御遷とも伝。 |
高良大社 御由緒 「延喜式神名帳」所載、筑後国大小四座のうちの一社で、いわゆる「式内」の古社である。天慶7年(944)の『筑後国内神名帳』には、「正五位下伊勢天照名神」とも見える。伝えるところによれば、桓武天皇の延暦3年(784)9月、国司藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座、神貢57束が奉られたという。即ち筑後における最も由緒正しい皇大神宮(内宮)の分祀である。建仁元年(1201)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の『高良社画縁起』では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和4年(1767)の府中大火を機として、現在地に遷座された。同年以降、毎年7月23・4の両日には「灯篭賑」が行われ、参詣者が群集したという。左右の境内社(八幡宮・天満宮)も、古くから山内に祀られていたものを、ここに遷したのである。 御祭日 11月13日(摂末社例祭) 高 良 大 社 社頭掲示板 |