沖の荒神
おきのこうじん 所在地 社名















   【延喜式神名帳】湊口神社 淡路国 三原郡鎮座
          (現在社)湊口神社

   【現社名】沖の荒神
   【住所】兵庫県南あわじ市湊里
       北緯34度19分33秒  東経134度43分34秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は湊浦字荒神の本にある「沖の荒神」の地に鎮座
        中世現在湊小学校のある地に遷座
        明治初八幡神社の境内(現在地)に移転

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「荒神」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

湊小学校の北西の森の中に鎮座する。参道はわかりにくい。


沖の荒神

湊小学校の校地の西北角から一まちの畑を隔てたところに「沖の荒神」とよばれる小さな祠(やしろ)がある。そこは、旧大字湊浦で、小字は西荒神の本といい、旧湊里村との接点に近いところである。これを祀る集団は昔から今まで湊浦、すなわち湊組である。
今から百数十年前に、湊浦の庄屋林氏が記録したと推定できる「湊浦年中行事記」という古記録によると、湊浦は正月に、湊口神社祭礼のあと、西荒神祀という小さな神事があった。それは、おそらく正月28日であったと思われる。28日は荒神さんの日である。
湊の西荒神とは、沖の荒神のことである。
5月には荒神祭という神事があった。これは湊里の荒神の祭であった。『味地草』(みちくさ)による湊里組には、四か所荒神さんがあった。「荒神の本」という小字がある。六地蔵という小字から少し南にある。
ここの荒神さんは現在、西の池より約100m北の若狭という小字に祀られている。もともと荒神さんのあったところへ、合併した訳である。
荒神さんといえば、火難盗難を防ぐかまどの神さま、三宝荒神で家に祀られている。それにかぎらず、森の樹木や塚が荒神とよばれて、集落や同族によって祀られている。それは、地の神、田の神であり郡内にも多い。
ところが、沖の荒神は海の神である。これは珍しい。
沖の荒神は、江戸時代から明神さん、すなわち湊口神社の発祥地、最初の古蹟地に伝えられてきた。
このことを書いているのは、『兵庫県神社誌』(昭和13年)である。湊口神社は海人部が沖の荒神の地に創建した神社であった。眼下に播磨灘を見渡し、海からもよく見上げられる高台である。しかし、眼下往来の船がしばしば神慮にふれて海難が起こったので、海から見えない大明神(今の小学校庭)に移転したという。それは平安時代後期であろうという。その跡に、崇敬の誠をつくさないと危害や不幸が起こる荒神が祭られたのであろう。
なお、湊口神社の湊口という地はどこか。奈良・平安時代のことはよくわからないが、新島に渡る開発橋と県道の間が湊口で、その東が東湊口という小字である。その真上にある沖の荒神が湊口神社の発祥地というのはうなずける説である。



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