「アマノカミノヤシロ」と称し漁労に從事した海人(あま)の集団が奉齋していたと思われる。 当初は海岸近くに鎮座していたと思われるが、その後城山の北のいわゆる片倉の里の別当寺紫雲寺の近くに遷座した(北緯34度54分55秒,東経139度53分7秒付近か)。 長享年間(1487−9)に紫雲寺が焼失したので、寺の住僧が長尾川を渡つた西方の長尾(今の谷部落)へ、神社も寺をも遷し建てた。天神社の旧跡は、寺の近く、西北の山に入つたところにある(北緯34度55分3秒,東経139度52分22秒付近か) 昭和3年に下立松原神社に合祀した。 現在は下立松原神社拝殿の右側に鎮座している。 |
天神社 当天神社は高御産巣日神・神産巣日神を祀り下立松原神社と同様延喜式内社でもとは白浜城址の北方片倉に鎮座で後に本郷谷部落に移り3月25日の大祭には村芝居も行われていたが、経営の都合上昭和3年に下立松原神社に合祀となり社伝も此の所に移し下立松原神社の神輿殿となったが後別に神輿殿を改築しもとの如く天神社を祀ったものである。 平成15年3月23日 下立松原神社宮司 高山儀丸 社頭石碑 |
天神社 天は阿女と訓べし○祭神大己貴命、少彦名命、(地名記)〇瀧之口村に在す、今小鷹大明神と称す、 今安房郡に属す、(同上)例祭月日、 類社 山城國綴喜郡天神社の条見合すべし 社領 当代御朱印高十四石 神社覈録 |