安房神社
あわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】安房坐神社 (名神大 月次新嘗)安房国 安房郡鎮座

   【現社名】安房神社
   【住所】千葉県館山市大神宮589
       北緯34度55分20秒,東経139度50分12秒
   【祭神】天太玉命 (配祀)天比理刀当ス
   【例祭】8月10日 例祭
   【社格】旧官幣大社 一宮
   【由緒】神武天皇紀元元年創祀という
       養老元年(717)天太玉命を現在の地に遷座
       承和3年(836)從五位
       貞観元年(859)正三位
       明治4年5月官幣大社

   【関係氏族】忌部氏
   【鎮座地】鎮座地の変更はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】古代より祭神の変更もなく継承されている
   【公式HP】 安房神社
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       拝殿・中門・幣殿・神饌所・祭器庫

   【境内社】下の宮・琴平社・厳島社
   【境内図】 境内図

神武天皇の勅命を受けた天富命が、肥沃な土地を求め四国阿波徳島の忌部一族を率いて、海路黒潮に乗り房総の布良ヶ崎に上陸し、この地の一際高い山に忌部氏の祖神である天太玉命を奉斎されたのが始まりであるとされている。
拝殿の少し手前には、六畳敷以上あると思われる巨大な赤黒い岩石が地上に横たわつている。拝殿の設けられる以前には、これを岩座として、ここに祭神を吾谷山の頂上より招いて、原始的な祭祀が行われたものと推察されている。
当社の創祀が彌生時代にさかのぼるとされており、古来祭神の交替はなかつたものと認められている。
安房の国一宮であり、神郡を有する全国八神社の一つである。


由緒

御本社御祭神(上の宮)
日本産業総祖神・天太玉命、相殿后神・天比理刀当ス
御摂社御祭神(下の宮)
房総開拓の祖神・天富命(天太玉命御孫神)、日本武道祖神・天忍日命(天太玉命御弟神由緒・神徳
房総半島の南端神戸郷に静まり座す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀当スを配祀として奉斎し、摂社下の宮に天富命をまつる。
延喜の制には名神大社に列せられ、安房全域を神都として有した全国屈指の名社である。本社の主祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に重臣として奉仕し、政治・祭祀・農漁業・建築・金属工業等、諸産業の祖神を統率された大力無双の神に坐す。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、大神の出御に大功を顕わされた。
房総開拓の神として下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられ神武天皇の重臣に坐す。
天富命は、勅命を体して四国阿波国忌部族の一部を割いて海路東方に沃土を求められ、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠地を定めて祖神天太玉命の社を建てた後、次第に上総・下総に進み房総半島に麻穀を播殖しその産業地域をひろめられたのである。
安房神社の御祭神は、日本産業の総祖神として崇められ更に現在では交通安全、厄除開運家内安全、商売繁昌等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。
置炭・粥占神事(1月14・15日)
1月14日の夜、忌火をきり正月に用いた門松の松材で粥を炊き、その薪が燃えつきる頃おきを12本取り出して並べ、その炭の色によって神主がその年の1月から12月の天候を占定する。
粥がにえる頃、すのこ状に編んだ12本の葦の筒を鍋に入れ、そのまま一晩置いて、翌15日朝、鍋から取り出し神前に供し祭典の後、神主がその葦の筒を一本ずつ小刀で割り、中の粥の入り具合や色つやにより米、麦、野菜等農作物の豊凶を占定する。
この神事は宝暦年間の神社旧記にも見られ古くからの神事である事がわかる。
宝物狛犬
文永元年(1264年)、日蓮上人42才の厄年に一週間安房神社にお篭りになり兀々坐定して刀を振って狛犬を彫刻せられ、誓願成就の御礼の意味にて奉納されたものである。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




安房神社

御本社御祭神(上の宮)
 日本産業総祖神
 天太玉命
相殿・后神
 天比理刀咋命
御摂社御祭神(下の宮)
 房総開拓の神
 天富命(天太玉命御孫神)
 日本武道祖神
天忍日命(天太玉命御弟神)
房総半島の南端神戸郷に鎮まり座す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀当スを配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命をまつる。
延喜の制には名神大社に列せられ、安房全域を神郡として有した全国屈指の名社である。
本社の主祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に重臣として奉仕し、政治・祭祀・農漁業・建築・金属工業等、諸産業の祖神を統率された大力無双の神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、大神の出御に大功を顕わされた。
房総開拓の神として下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられ神武天皇の重臣に坐します。
天富命は、勅命を体して四国阿波国忌部族の一部を割いて海路東方に沃土を求められ、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を建てた後、次第に上総・下総に進み房総半島に麻穀を播殖しその産業地域を広められたのである。
安房神社の御祭神は、日本産業の総祖神として崇められ更に現在では交通安全、厄除開運、家内安全、商売繁昌等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。
置炭・粥占神事(1月14・15日)
1月14日の夜、忌火をきり正月に用いた門松の松材で粥を炊き、その薪が燃えつきる頃おきを12本取り出して並べ、その炭の色によって神主がその年の1月から12月の天候を占定する。
粥がにえる頃、すのこ状に編んだ12本の葦の筒を鍋に入れ、そのまま一晩置いて、翌15日朝、鍋から取り出し神前に供し祭典の後、神主がその葦の筒を一本ずつ小刀で割り、中の粥の入り具合や色つやにより米、麦、野菜等農作物の豊凶を占定する。
この神事は宝暦年間の神社旧記にも見られ古くからの神事である事がわかる。
安房神社年間恒例祭事
1月1日  歳旦祭
1月3三日  有明祭
1月14日 置炭神事
1月15日 粥占神事
2月節分日 節分祭
2月11日 建国祭
2月17日 祈年祭
4月初旬  桜花祭
5月10日  下の宮祭
6月10日  厳島社祭
6月30日 大祓式
7月10日  忌部塚祭
8月10日  例祭
9月14・15日 国司祭
9月27日 琴平社祭
11月23日 新嘗祭
11月下旬   新穀感謝祭
12月26日 神狩祭
12月31日 大祓式
12月31日 除夜祭
※ 右の他毎月1日に月次祭がある。

由緒書



安房国一の宮安房神社略記

本社御祭神(上の宮)
日本産業総祖神
天太玉命(あめのふとたまのみこと)
相殿・后神
天比理刀当ス(あめのひりとめのみこと)
摂社御祭神(下の宮)
房総開拓の神
天富命(あめのとみのみこと)
(天太玉命御孫神)
日本武道祖神
天忍日命(あめのおしひのみこと)
(天太玉命御弟神)
由緒・神徳
「古語拾遺(こごしゅうい)」や「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」といった書物によれば、安房神社の始まりは2660年以上前にさかのぼるという。現在下の宮に祀られている天富命は、神武天皇の勅命により四国・阿波徳島の忌部一族を率い肥沃な土地を求めて旅立つこととなり、海路黒潮にのり房総南端のこの地に到着した。そして上総・下総に進み麻や穀(かじ)(紙の原料)といった植物を播殖して、その産業地域を広げていった。開拓を終えた天富命は、無事成し遂げられたのも祖先の御加護によるものだと考え、祖父にあたる天太玉命をお祀りして、祖先の恵みに感謝したのである。
「安房忌部家系之図」によれば、元正天皇の養老元年(七一七)に現在の場所へと天太玉命を奉斎し、同時に天富命も下の宮に祀ったという。
上の宮の御祭神である天太玉命は、天照大神のそば近く重臣として奉仕し、天照大神が天岩戸にお隠れになった時には、中臣氏の祖神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)とともに大神の出御のために活躍した神である。また子孫にものを作る技術に長けた神が多くいたことから、産業の総祖神としてその神徳を世に顕わしている。
現在は安房全域をはじめ上総・下総・関東地方の信仰を集めており、交通安全・厄除開運・家内安全・商売繁盛などを願う人々がこの地を訪れている。
置炭・粥占神事(1月14・15日)
1月14日の夕刻、正月に用いた門松の松材で火をおこして粥を炊き、薪が燃え尽きるころおきを12本取り出して並べ、その燃え具合によって神主が一年間の天候を占定するのが「置炭神事(おきずみしんじ)」である。
一方の「粥占神事(かゆうらしんじ)」は、すのこ状に編んだ12本の葦筒をその鍋に入れて一晩置き、明くる15日の朝、取り出した葦筒を一本ずつ小刀で割って粥の入り具合やつやによりその年の農作物の豊凶を占定するというものである。
当社旧記には、これらの神事が宝暦年間から行われていたことが記されている。
安房神社年間恒例祭事
1月1日  歳旦祭  1月4日  有明祭
1月14日 置炭神事 1月15日 粥占神事
2月節分日 節分祭  2月11日 建国祭
2月17日 祈年祭  4月初旬  桜花祭
5月上旬  御田植祭 5月10日 下の宮祭
6月10日 厳島社祭 6月30日 大祓式
7月10日 忌部塚祭 8月10日 例祭
9月10日 御仮屋祭 9月14・15日 国司祭
9月27日 琴平社祭 10月上旬 抜穂祭
11月23日 新嘗祭 11月下旬 新穀感謝祭
12月28日 神狩祭十神 12月31日 大祓式
12月31日 除夜祭 
※ 右の他毎月1日に月次祭がある。
※ 宝物狛犬
※ 文永元年(1284年)、日蓮上人が42歳厄年のおり一週間当社にこもって一心不乱に刀を振るい、誓願成就のお礼として奉納したのがこの狛犬である。
※ 他に館山市の指定文化財として、高坏、燧箱、木椀、双鳥花草文円鏡、双鳥花草文八陵鏡(そうちょうかそうもんはちりょうきょう)がある。

社頭掲示板



安房神社

上の宮ご祭神 主祭神 天太玉命 (アメノフトダマノミコト)
       相殿神 天乃比理刀当ス (アメノヒリトメノミコト)
           忌部五部神 (インベコブシン)
下の宮ご祭神 主祭神 天富命 (アメノトミノミコト)
       相殿神 天忍日命 (アメノオシヒノミコト)
摂社 琴平社、厳島社
      (由緒・沿革)
 遙か2660年以上昔、神武天皇の元年に現在の下の宮ご祭神天富命は勅命を受け、四国は阿波国の忌部氏を率いて肥沃な土地を求めて海路黒潮に乗って東に出帆しました。
  天富命、黒潮にのり東国進出の図 
そして幾多の苦難を乗り越えて発見・上陸されたのがこの安房国でありました。先ず富命は布良の浜に上陸し、東国経略に乗り出され、同時に上陸地の近くの男神山と女神山に祖先神天太玉命を祀られました
これが、安房神社の始まりです。
 以後富の命は安房の産業振興に力を注がれ、特に阿波より持ち至った麻、楮(紙の原料)、稲などを繁殖して日本の発展に大いに貢献されました。安房国の「房」という字は麻を表す意味もあり、麻がよく収穫できたのでこの国名を付けたということです。その勢力は栃木県の小山市に安房神社が存在することからも、かなり北方に及んでいたと推測できます。
 時代は下って平安時代の養老元年に現在の位置に遷座し、更に富命の業績を偲んで富命をお祀りする下の宮を新に創祠しました。境内地の様相は、当時と大きく変わらずに現代に至っています。
 官制としましては、古くから神戸(郡一帯を神社領としたもの)を認められ、延喜式では名神大社で官幣に預かりました。神階も従三位に昇り、なかなか格式が高かったようです。
 鎌倉時代以降は、戦乱で神戸をずいぶん削られましたが、幕府から社領を寄進されたりして30石を領有し、戦国時代に里見氏が安房で力を得てからも同じく30石、江戸幕府も同じ石数を社領としています。
 明治維新以降の社格では官幣大社の社格と、最も上に位置して終戦まで例祭には勅使が参向されました。ただし、終戦以降は国家管理と社格制も廃止され、現在官幣大社という称号はついていません。
 現在の氏子数は160余戸、奉賛会などの講社は昔は存在しましたが、解散して現在はありません。
 安房神社には、様々な祭事があります。大半の祭事は、参列者のいない簡素なものですが、その中にはこの地域独特のものもあります。
 以下に掲載する祭事は、執り行う日付順になっております。
1月 1日 歳旦祭 新年を祝うお祭りです。
   4日 有明祭 前年12月26日の神狩祭から数えて10日目のこの日に神狩祭が明けるお祭りをします。昔は夜中に白木の神輿が出て、大変荘厳なお祭りだったようですが、現在神輿は出ません。
  14日 置炭神事 神饌所で松の薪を火にくべ、その燃え具合で1年の天候を占います。
  15日 粥占神事 置炭神事で火に粥と葦筒の入った鍋を掛けて、粥が筒にどれだけ入っているかで1年の作物の豊凶を占います。
2月 3日 節分祭 多くの厄除け祈願者と神前に無病息災を祈願し、終わってから豆撒きを執り行います。
  11日 建国祭 建国記念日に建国の際の先人の苦労を偲び感謝の念を捧げるお祭りです。
  17日 祈年祭 今年1年の豊作と産業の繁栄を祈るお祭りで、全国的なものです。
4月 初旬 桜花祭 春になると出てくる様々な疫病などの厄を祓うお祭りです。
5月10日 下の宮祭 下の宮のお祭りです。
   初旬 御田植祭 神田の田植え初めのお祭りです。
  27日 海軍落下傘部隊慰霊祭
6月10日 厳島社祭 厳島社のお祭りです。
  30日 大祓式 1月から半年の罪穢れを祓い清めるお祭りで、社務所前に茅の輪を作ってくぐり、無病息災を祈ります。
7月10日 忌部塚祭 境内洞窟遺跡から発掘された人骨を当地の先祖忌部氏として、苦労と功績を讃えるお祭りです。
8月10日 例祭  1年で最も重要なお祭りです。神輿も出てまた参列者も多く、盛大に執り行われます。
9月10日 御仮屋祭 神輿の御仮屋のお祭りです。  
  14・15日 国司祭 安房郡市最大のお祭りです。場所は館山市中心部の鶴ヶ谷八幡宮で、ここに館山市内の神社と安房神社、洲宮神社、下立松原神社の神輿が集まり勇壮な神輿振りをします。
10月10日 館山海軍砲術学校慰霊祭
    未定 抜穂祭 稲刈り初めのお祭りで、御田植祭の時に植えた神田の稲を刈り取ります。刈り取った稲は、伊勢神宮に送られ、また新穀感謝祭で安房神社の神前に供えられます。
11月23日 新嘗祭 豊作を感謝するお祭りです。
    下旬 新穀感謝祭 神戸をあげての、1年の無事と収穫に感謝するお祭りです。
12月26日 神狩祭  昔天富命が狩りをして野獣などを退治し、国を安定させたことに端をほっするお祭りです。
   31日 大祓式 7月以降の罪穢を祓います。
   31日 除夜祭 去る年を見送るお祭りです。
この他に毎月1日には、月次祭が執行されます。
安房神社の社殿
 安房神社には、複数の社殿があります。その中核となるのが上の宮と下の宮です。これは伊勢神宮の内宮・外宮の形に倣って建てられていると言われております。この他に摂社として琴平社、厳島社があります。
 これらの社殿と共にお祭りや社務を執り行う様々な建物は、まず御仮屋、これは例祭の時に他の神社の神輿が集まる行事があり、これに使われていました。また神饌所は、やはり例祭の時に神前にお供えする神饌を調製し、祭器具を納めるためにあります。社務所は通常の社務を執るためにあります。授与所は神札・お守りなどの授与品を頒布するためにあり、大抵ここに神職が詰めています。参拝控所はご祈祷の方が順を待つのに使ったりします。
上の宮
 安房神社の中で最も尊い神様天太玉命が祀られています。本殿は茅葺神明造りで、明治14年の建築、釘を使わない古来の方法で建てられています。その手前にある拝殿は、昭和52年の建築で、神明造り銅板葺鉄筋コンクリート製のものです。
 本殿は簡素ながら壮重な建物で、何百年たってもかわらぬ境内の森厳さを窺わせます。拝殿もコンクリート製ながら重々しさを漂わせています。
下の宮
 上の宮に向かって右手の方に歩いていくと、やや小ぶりなお宮があります。養老元年に創祠された下の宮は、室町時代頃に荒廃して廃祀されてしまいました。それから暫く復活することなく、再興されたのが600年以上たった大正8年のことでした。その後老朽化により平成10年の改修を経て、現在に至っています。これも上の宮に倣って本殿拝殿共に木造神明造り、屋根だけは銅板葺きです。
琴平社
上の宮の右手30メートルほどの所に建つ、小さなお宮です。
海の神様として崇拝され、南国土佐の鰹漁をする船が近くに入港しますと、乗組員が上の宮や下の宮と共に必ず参拝していきます。
 社殿は木造神明造り銅板葺です。
 写真のように、社殿の後に大きな桜の木があり、毎年美しい情景を作り出しています。
厳島社
 上の宮の一段下、玉砂利の参道脇に自然の岩山が横たわっています。これを磐境として、東側からくり抜いたものが厳島社です。たいへん小さなお宮ですが、その前に立つと不思議な雰囲気を感じます。
 ここからは、社殿以外の附属施設です。
御仮屋
 3〜40年前の安房神社では、例祭になると神戸中の神輿が集まりました。その神輿が納まる場所がこの御仮屋です。白浜からの2社と神余からの1社を含めて、合計9社の神輿が入祭しました。
 しかし残念なことに現在では神輿の担ぎ手が確保できず、1社も入祭しないというのが実状です
最後の入祭である平成9年の写真。
八坂神社、犬石神社、日吉神社が入祭。
神饌所
 大正初期の築です。主に例祭での神饌を調整する為の建物です。
 その他にも正月の神饌もここで調整しますし、置炭神事で天候を占うのも、この建物で行われます。平成11年に改築が施され、風化が激しかった正面部分などが修復されました。正面の白く見える部分が修理該当部分です。
 建物は左側の渡廊下を通って本殿内庭に入ることが出来るようになっています。
参拝控所
 旧額殿。昭和15年に当地の寺崎武男画伯が描いたフレスコ画が展示してありました。しかし、当時は柱と一部の壁しか無かったために、湿気の多い日や風の強い雨の日は絵に多大な悪影響を与えていたようです。その為、現在残っている絵はかなり痛みが激しく、2面のみをかろうじて展示しております
 現在は額殿としては機能しておらず、参拝者の休憩所のような形で使用しております。
 お水取り・お砂取りの方へお知らせします
 当神社にはお水取り場、お砂取り場がございますが、神社の境内地のことでもございますので、お取りいただく前には必ずお祓いをお受けいただきます。通常時で15〜20分、混雑時は30分以上の余裕を見てご来社下さることをおすすめします。
 また、境内地とは十分に清浄な場所ですので、お水・お砂を取ってからお祓いするのは神前に対して失礼に当たります。よって、先にお水やお砂を取ってからのお祓いは一切これを行いません。
 境内地は、先に申しましたとおりもとより清浄な場所ですから、塩をまいたり、砂をまく、玉などを埋めるの行為は厳に慎んで下さい。参拝者は他にもいらっしゃいます。一般の参拝者の中には、塩で円を描いてあったりすると不快に思う方もいらっしゃいます。
 ご神前でもございますので、譲り合ってお取り下さい。前例として、奪い合うように、また一人で何十リットルもお取りになった方もいらっしゃいますが、こみ合う日には他の方の迷惑になりますので、慎んでください。
 当社では時間外のお水取り・お砂取りは一切認めておりません。神々もお休みになる時間がありましょう。そのことを心に留めていただければ幸です。

旧公式HP



千葉県指定史跡

安房神社洞窟遺跡
昭和42年3月7日指定
昭和7(1931)年、井戸の掘削工事の時に地表下1mほどのところで、偶然に洞窟がみつかつた。東北方向に開□部があるこの海食洞は、全長約11m、高さ2m、幅1mの大きさで、現在は再び地下に眠つている。
洞窟の発見直後の緊急発掘調査の結果、人骨22体の他、貝製腕輪193個、縄文土器、古墳時代の土師器などが出土し、ここが古代の墓所であることがわかつた。人骨15体には、健康な歯を故意に抜く風習である抜歯(ばつし)の跡があり、当時の習俗を知る上で貴重だが、弥生時代とされる時期については再検討が必要である。人骨の一部は近くの宮ノ谷に再び埋葬され、忌部塚として祀られている。
館山市教育委員会

社頭掲示板



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学校統廃合