安房神社
あわじんじゃ


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【由緒】

■ 神代
安房神社の創始は、今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。
その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。  この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀当スをお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。
■ 奈良時代
 時代が下り養老元年(717年)になると、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。
■ 平安時代
平安時代には、『延喜式』の「神名帳」に記載された式内社(しきないしゃ)となり、その中でも特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)として、国家から手厚い祭祀を受けておりました。またこの時代には、「安房国一之宮」としても、広く一般庶民からの崇敬も集めています。因みに現在においても、安房国の一之宮で有ることには変りありません。
■ 近代・現代
明治時代になると、新たな社格制度が制定され、当社は「官幣大社」(かんぺいたいしゃ)という最高位の社格を賜り、昭和20年の大東亜戦争(太平洋戦争)終結まで、国家の管理下に置かれることとなっていました。 しかし終戦時に、GHQによる「神道指令」によって、当社を含め、それまでの社格制度は全て廃止されてしまいます。昭和21年には、戦後発足した神社本庁(じんじゃほんちょう=全国の大多数の神社を包括する団体)によって、神社の由緒や活動状況を考慮して、特に優れたお宮に定められる「別表神社」(べっぴょうじんじゃ)の指定を受けることとなりました。それ以降、氏子の皆様は勿論のこと、日本全国の多くの崇敬者の皆様に支えられて、現在に至っております。

公式HP



【文化財】

千葉県指定文化財
史跡 安房神社洞窟遺跡 - 昭和42年3月7日指定。
館山市指定文化財
有形文化財 双鳥花草文八陵鏡・双鳥花草文円鏡(工芸品) 八陵鏡(正しい用字は「八稜鏡」)[注 4]は鎌倉時代末期頃の作、円鏡は南北朝時代頃の作。明治26年(1893年)に東京の装束師から奉納された。昭和44年2月21日指定。
安房神社高坏(考古資料) 古墳時代、5世紀初頭頃の祭祀で使われたものとされる土師器の高坏。大正8年(1919年)の下宮再建工事時に、現在の社殿の下から出土した。昭和44年2月21日指定。
有形民俗文化財 狛犬・燧筐・木椀 4点 木造狛犬は鎌倉時代末頃の作、燧筐(ひうちばこ)は御狩神事における神燈点火用具で鎌倉時代の作、木椀は神饌を供えるもので鎌倉時代の作。昭和37年7月23日指定。
関連文化財
岡嶋家所伝安房忌部系図 - 館山市指定有形文化財(書跡典籍等)。安房神社社家の岡嶋家に伝わる系図。昭和44年2月21日指定。


【安房神社洞窟遺跡】

県指定史跡
房総半島の南端、安房神社の境内に所在するこの洞窟は、昭和7年(1932)、関東大震災の復旧工事で神社の参籠所裏に井戸を掘っている時、地表下1mほどのところで偶然発見された、全長約11m、高さ約2m、幅約1.5mで、東北部に開口する海食洞窟である。
 その後、ただちに緊急学術調査が行われ、洞窟の中から人骨22体、貝輪(貝製の腕輪)193個、小玉(石製)3個と土器が出土した。土器は当時の報告では弥生土器とされていたが、現在、縄文時代晩期終末頃の東海系土器であるとの意見がある。いずれにしても、この洞窟が縄文〜弥生時代の墓地であることが分かった。特に、出土した22体の人骨のうち、15体に抜歯の痕跡が認められたことは、当時の習俗を考える上で貴重な資料として注目されている。抜歯は、健康な歯を故意に抜く習慣で、日本では縄文時代後期から晩期に盛んに行われていた。
 発見された人骨の一部は、神社近くの宮ノ谷に再び埋葬され「忌部塚(いんべづか)」と呼ばれているが、この名が付けられた由来は、安房神社の縁起と深い関係がある。安房神社は、安房国一の宮で、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祭神としている。忌部一族による安房開拓神話に登場する安房忌部氏の祖天富命(あめのとみのみこと)が、その祖神を祀ったものとされていることから、洞窟から出土した人骨は先祖である忌部氏と考え、再埋葬した時に忌部塚と名付けた。毎年7月10日には、先祖忌部氏を祭る「忌部塚祭」が開かれている。

千葉県教育委員会



官幣大社安房神社

安房郡(舊安房郡)神戸村大字太神宮字宮谷に在り、境内九百六十九坪、天太玉命を祀る、亦斎部五部神は天日鷲命。天神立命・大宮賣命。豊磐窓命。櫛磐窓命なり。古史を按ずるに、神武天皇紀元元年天富阿波の斎部を率ゐて此の土に来り。其の父太玉命の社を創建し給ふ、本社即ち是なり。其の後景行天皇上總國浮島宮に行幸あり、磐鹿六雁命堅魚・白蛤を得て献ず、この時本社太神を御食都神と爲す。承和3年7月始めて從五位下を授けられ圭田八町を進めて社用に充つ。同9年10月正五位下、仁壽元年8月從三位、貞観元年正月正三位を加へられ、圭田四十町封戸百三十戸を進む。延喜の時名神大社たり、治承4年9月源ョ朝本領安堵の下文を附す。弘安4年勅して蒙古退治を祈願せしめ勲一等を授けらる。興國4年神宣に依り下之宮を本宮に合祀す。文安2年里見義實入國の際神領を沒収す。明應8年6月大震あり宮殿悉く覆倒す。文龜3年領主里見成義先例の規距を減じて本殿及び瑞垣を造營す。天文5年里見義弘社領大破を修繕し神領の十分一を復す、當時社領に屬するもの三十石二斗二升なり。寛永13年徳川家光舊規に依り朱印地三十石餘を寄附し永世違ふことなからしむ。明治4年5月官幣大社に列せらる。
本殿建坪六坪檜皮葺、中殿建坪二坪板葺、拝殿建坪十五坪茅葺、境内末社九座あり琴平神社。五座神社・菅原神社・子安神社・八雲神社・日枝神社・稲荷神社・嚴島神社・八幡神社是なり。
祭典中、例祭、祈年祭、新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進使として奉幣せしめらる。其の他小祭には神田祭・置炭神事・粥占神事・早苗振神事・神狩神事・月次祭式等あり。神狩神事は往古天富命神民愛撫のため田獵し給ひし舊例を傳へたるものにて最も嚴粛なる祭典とす。本社什寶に天富命の用ひたまひしと傳ふる木椀・木臺及び自製の燧篋・神劔・神璧・古印・古文書等あり。

稿本千葉縣史



安房神社

あわじんじゃ 千葉県館山市大神宮。
旧官幣大社(現、別表神社)。本社(上宮)に主神天太玉命を祀り、相殿に天比理刀当ス・斎部五部の神、摂社(下宮)にその弟神天忍日命・孫神天富命を祀る。主神天太玉命は高皇産霊神の御子で、阿波・讃岐・紀伊・築紫・伊勢等の斎部祖神として諸神を率い、天祖に仕えて大功を顕わした神である。『古語拾遺』に、天富命が阿波斎部をわけて東方の沃土を求め、麻穀を播殖させ、その居所を安房郡と名づけ、この地に天太玉命の社を創建し、安房社としたとある。景行天皇上総国安房行幸の際、磐鹿六雁命がこの神を御食都神として大御食を仕え奉ったという。平城天皇大同元年(807)、神戸94戸にさらに10戸を加えられ104戸となり、ついで仁明天皇承和3年(836)に従五位下に、同9年正五位下に、同14年安房大神および従祭神に正税穀一〇〇石を加え、文徳天皇仁寿2年(852)に従三位、清和天皇貞観元年(859)には勲八等八房神、並びに天比理刀当ス神に正三位が授けられ、延喜の制、名神大社に列し、祈年、月次、新嘗の案上官幣に預っている。『延喜式』には安房坐神社と記されている。のち安房国一の宮としてその位置ははなはだ重く、また武門武将の崇敬が篤く、ことに領主里見氏は累代崇事し、社領三〇石余りを寄進し、左馬頭義弘は社殿の修造をしている。江戸時代には徳川幕府が三〇石の朱印領を安堵した。摂社下宮の鎮座は古いが、康永年中(1342-44)に頽廃したので、その後本殿に合祭され、大正7年(1918)再建を許され、同10年新殿に遷祀された。境内末社に琴平社・日枝社・八雲社・稲荷社・子安社・厳島社・八幡社等がある。例祭8月10日。神事として正月1日から三日間行われる神田祭、同14日の置炭神事、同15日の粥占神事、6月下旬に行われる早苗神事、8月9日、10日の掲鼓舞等がある。

神社辞典



安房座神社 名神大月次新嘗

安房は國名、郡名等に同し、〇祭神天太玉命、(一宮記頭注)、○太神宮村に在す、(地名記)例祭月日、O当國一宮也、(一宮記)O式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、安房國安房神社一座、
連胤按るに、一宮記、號洲崎明神といへり、是に依て古事記伝にも、今洲崎明神と申すと云る共に謬也、洲崎明神とは后神を称すにて、則房総志料に、洲崎明神は后神天比理当ス也と云るぞ正しき、
鎮座
旧事紀、(天皇本記)神武天皇元年、天富命於安房地立太玉命社、謂安房社是也、〇古語拾遺云、逮于神武天皇、天富命更求夭壌、分阿波齋部率往東土播殖麻穀、天富命即於其地立太玉命社、今謂之安房社、故其神戸有齋部氏、
神位
続日本後紀、承和3年7月甲申、安房國無位安房大神奉授從五位下、同9年10月壬戌、奉授安房國從五位下安房大神正五位下、文徳実録、仁寿2年8月丙辰、安房国安房神、特加從三位、三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授安房國從三位勲八等安房神正三位、
神税 社領
続日本後紀、承和14年7月壬申、加安房國大神、並從神祭、正税穀一百解、O当代御未印高三十石四斗

神社覈録






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