厳島神社
いつくしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊都伎島神社(名神大) 安芸国 佐伯郡鎮座

   【現社名】厳島神社
   【住所】広島県廿日市市宮島町 1-1
       北緯34度17分45秒、東経132度19分12秒
   【祭神】市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
       (配祀)玉留魂神 国常立尊 天照皇大神 素盞嗚尊 高皇産靈神 神皇産靈神
       生魂神 足魂神 大宮比売神 御饌津神 事代主神 軻遇突智神 埴山姫神 保食神
       稚産靈神 倉稻魂神 豊磐窗神 奇磐窗神 埴安神 金山彦神 猿田彦神 興津彦神
       興津姫神 罔象女神 天村雲神 屋船句句廼馳神 屋船豊宇氣姫神 八十枉津日神
       神直日神 大直日神 底津海童命 中津海童命 表津海童命 底筒男命 中筒男命 表筒男命

   【例祭】6月17日 例祭
   【社格】旧官幣中社 安芸一宮
   【由緒】推古天皇元年(593)11月初申日宮殿創立
       弘仁2年(811)7月預名神兼四時幣
       貞観元年(859)正月27従四位下
       貞観9年(867)10月13日従四位上
       天慶3年(940)2月1日海賊調伏祈祷・正四位下
       仁安3年(1167)11月造営
       承安4年(1174)3月後白河法皇建春門院と共に御社参
       安元2年(1176)12月18日正一位
       治承4年(1180)3月26日高倉上皇御社参
       承元元年(1207)火災焼失
       建保3年(1215)12月再建
       貞応2年(1223)火災焼失
       建武3年(1336)5月足利尊氏造営料所寄進
       元亀2年(1571)造営
       明治4年5月14日国幣中社
       明治18年7月31日明治天皇行幸
       明治44年5月13日官幣中社

   【関係氏族】佐伯氏
   【鎮座地】当初より此の地に鎮座

   【祭祀対象】宮島は「神の島」とされていた
   【祭祀】江戸時代は「厳島神社」と称していた
   【公式HP】 厳島神社
   【参考HP】 厳島神社
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       拝殿・幣殿・祓殿・高舞台・平舞台・廻廊・社務所

   【境内社】客神社・大国神社・天神社・門客神社・三翁神社
        豊国神社・荒胡子神社・祖霊社・地御前神社・金刀比羅神社・大元神社
        瀧宮神社・御山神社・長浜神社・北之神社・今伊勢神社・四宮神社・幸神社
        粟島神社・杉之浦神社・包ケ浦神社・鷹之巣浦神社・腰少浦神社・青海苔浦神社
        養父崎神社・山白浜神社・須屋浦神社・御床神社・清盛神社

   【境内図】 境内図

平清盛を頭とする平家一門は、いわゆる平家納経をはじめ、その財力を尽して数々の貴重品を奉納した。
大内氏時代以降、祭礼の発展に伴い、年三季(冬市は早く廃れた様である)の市立てによつて、東は近江、堺の商人から西は博多商人等が集まり、国内物産ばかりでなく海外からの輸入品も取扱われており、更には富くじ興業が行なわれ、そこから得た利益で社殿修理の寄附や装束類の寄進が相ついで行なわれた。城下町には見られない開放的な空気の下に内海有数の商業地となり、観光歓楽の地として栄え、特に諸芸能では、当代一流の役者が上演していた。


由緒

厳島神社は市杵島姫命を主祭神とする本社と、主祭神と同時にお生まれになった五男神を祀る摂社客(まとうど)神社とを中心にして、海上に壮麗な社殿が建ち並び、日本三景の誉れ高い。当神社は推古天皇元年(593)、当島の住人、佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神託によって、宮殿創立の事を奏聞し、勅許を得て御笠浜に創建し、同年11月初申日に新宮に鎮座し奉ったと伝える。厳島神社が正史に初見するのは『日本後紀』の弘仁2年(811)7月に伊都岐島神が名神例に預かったことであり、貞観元年(859)正月に神階を従四位下に進められてより後、次々と昇叙されて正一位に達している。また、延長5年(927)の『延喜式』の神名帳では、名神大社に列せられており、安芸国一宮として名高い。降って平清盛は、当社を平家の守護神として崇敬し、仁安3年(1168)現在の規模の社殿を造営している。承安4年(1174)には平清盛は後白河法皇と建春門院に伴って社参し、治承元年(1177)には中宮徳子、3月と9月には高倉上皇が御幸されている。また、平家一門の人々が平家納経をはじめ数々の美術工芸品を奉納している。平家の後も鎌倉将軍家や足利尊氏、大内義隆、毛利元就などの崇敬を受け、また、厳島神社は全国に亘って奉斎されて広く国民一般の尊崇が篤い。平清盛の造営の後、建永2年(1207)と貞応2年(1223)に火災に罹り、現在の主要社殿は仁治2年(1241)までに再建されたものであり、本社本殿はさらに元亀2年(1571)に毛利元就が造替している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




厳島神社

厳島神社御由緒
一、 御祭神
御本社 田心姫命
市杵島姫命
湍津姫命 客社 天忍穂耳命
天穂日命
活津彦根命
天津彦根命
熊野樟日命
一、 社殿の創建
 厳島神社は古代、周辺の沿岸島嶼部の住民が御山を主峯とするこの島の山容に神霊を感じ、これを畏敬したことに始まる。
 社殿の創建は推古天皇元年(593)に神主佐伯鞍職が官奏し、これを造営したと伝承されている。その後平良清盛公が久安2年(1146)安芸守となり当神社を篤く信仰し仁安3年(1168)現在の規模に建替えた。
 以後承元元年(1207)、貞応2年(1223)の二度に亘り火災に遭うがその都度、国司によって造営せられ、現存の建物は仁治2年(1241)に造営を終えたものである。
 爾来鎌倉幕府、室町幕府、大内氏、毛利氏、浅野氏の篤い崇敬と保護のもとに社殿を維持し、現在は御本殿以下附属する建物はすべて国宝又は重要文化財に指定されている。
一、 社格
弘仁2年(811)
延長5年(927)
明治4年(1871)
明治44年(1911)
昭和27年(1953) 名神例幣に預る
名神大(延喜式)
国幣中社
官幣中社
宗教法人
一、 御幸
後白河法皇 建春門院と共に御社 承安4年3月(1174)
高倉上皇 治承4年(1180)3月及び9月二度に亘り御社参
一、 社参
平 清盛公 永暦元年(1160)を始めとし、平家一門と共に社参多し
前太政大臣花山院忠雅公 徳大寺実定卿「治承3年(1179)」等、公卿の社参多し
足利義満公 康応元年(1389)
大内義隆公 天文10年(1541)
毛利元就公 永禄10年(1567)
豊臣秀吉公 文禄元年(1592)
一、 祭儀
神衣献上式 1月1日
桃花祭 4月15日 祭典後舞楽奉奏
桃花祭神能 4月16日より三日間
管弦祭 旧暦6月17日 海上渡御
菊花祭 10月15日 祭典後舞楽奉奏
鎮座祭 12月初申日

社頭掲示板



厳島神社

世界遺産厳島神社 世界文化遺産「厳島神社」は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物「彌山原始林」を頂く宮島の島全体をご神体として、6世紀ころに創建されたと伝えられている。
1168年、平清盛は海上に浮かぶ寝殿造り様の社殿という独創的な神社建築を完成させた。平安時代の極に達した建築美の面影は、多くの先人によって手厚く守られ、現在に伝えられている。
周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものである。
また、神道の社殿群の中にかつての神仏混淆のなごりを色濃くとどめている。
大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包含する地域は1996年12月7日「厳島神社」としてUNESCOの世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることとなった。
我々は、この貴重な遺産を後世に引き継く責務を負ったのである。
弥山山頂(530m)付近には弘法大師開基と伝えられる弥山本堂や大師が求聞持の修行中に焚いた護摩の火が今日まで燃え続けている「霊火堂」などの史跡が点在する。
この島は全島花崗岩からなり、地質学的に興味深い事象が随所に現れている。また宮島の動物や植物もたいへん貴重なものが多い。動物ではミヤジマトンボや野生のシカなどである。
植物では、ツガ、モミ、コウヤマキなどの針葉樹にアカガシ、クスノキ、やブツバキなどの常緑広葉樹が混じり、その多様性は日本の縮図と形容されている。

社頭掲示板



厳島神社

特別史跡 特別名勝 厳島
厳島(宮島)は周囲30Km、全島花こう岩からできている。島の最高峰彌山1は530m頂上からの内海の眺めはすばらしい、これを中心にいくたの峰・渓谷を生じ、海岸線は変化に富んでいる。彌山山頂を含む地域は原始林として天然記念物に桔定されており、樹種がはなはだ多いので、ここを往みかとしている鳥獣の種類も少なくない。いつくしまの呼び名は、神をいつきまつる島、に由来するといわれており、古くは、島そのものが神として崇拝されたもので、厳島神社に対する、平清盛一門の信仰は名高く、海に浮かぶ社殿の構想もこの時にはじまる。ひはだぶき朱塗の社殿が緑の山を背資い、おだやかな海にのぞむ景色は自然と人工のすぐれた調和美をなし日本三景のひとつと賞せられてきた。大鳥居・社殿・平家納経などをはじめ国宝・重要文化財が少なくない。また付近には毛利元就と陶晴賢の古戦場など史跡に富んでいる。

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厳島神社

世界遺産厳島神社
平成8年(1996)2月登録
厳島神社は霊峰弥山を背景に前面を海に望む入り江に建つ神社建築で弥山などを御神体として祀り、遥拝所をその麓に配置した日本における社殿建築発展の形式の一つです。 
社殿構成は12世紀に平清盛の造営により、当時の寝殿造りの様式を取り入れて整備されましたが、その後焼失し、鎌倉時代に再建されました。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、古い様式を今日に伝えています。
また、神社建築に加えて五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられ、神道と仏教との混交を示す文化遺産として、世界に類を見ない景観を進りだしています。世界遺産の範囲は厳島神社境内地と弥山北斜面の431.2ヘクタールが登録され、それ以外の島内が緩衝保護区域として設定されています。
廿日市市教育委員会

社頭掲示板



厳島神社

嚴島神社の創建は、推古元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。平安時代後期の仁安3年(1168年)には、佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営。本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、弘治元年(1555年)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、その年安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)建立を命じています。
嚴島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、また永い歴史の間には幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。

参考HP



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