初め星川臣氏の氏神として祭られたものであろう。 中世に至つて吐山氏(長谷川党の一族か)がこの地に拠り、弘治2年(1556)に春日神を現在地に勧請して氏神として以來、春日神社が総氏神としての位置に立つた。 旧社地は字ヲリエ、奈良県青少年野外活動センターの入ロにあり「下部神社趾(表)明治四十年一月上宮尓合祀(裏)」銘の記念碑がある。 小学校からは少し離れている。小学校のすぐ近くには十二所神社が鎮座している。 元々、字オリエ(オリイ?)に鎮座していた 旧社地は「いわぐろ」(=磐座)と呼ばれる古代信仰の霊地でありそこに地元豪族の星川氏が都祁国造の祖である、神八井耳命をお祀りして氏神とした。 明治に入ってから現在の鎮座地にあった春日神社境内に鎮座し、天之児屋根命を合祀した。式内社でもある下部神社の方が社格が上なので名前も下部神社へ、春日神社は下部神社の境内社となった。 |
由緒 下部神社はもと吐山の東南部、字「おりい」に祀られていた。社殿の裏山の屋根には、岩石が壘々と重なり、里人が「いわぐろ」と呼んでいる場所がある。これは「いわくら」と思われる聖域で、当地方によく見られる古代信仰の霊地である。 この地に星川氏が、神武天皇の皇子、都祁国造の祖である、神八井耳命をお祀りして、氏神としたと思われる。 明治40年2月6日、現在地字「くさお」の春日神社の境内に遷され、同社の祭神天之児屋根命を合祀したのである。 下部神社は延喜式神名帳に所載されている由緒ある神社で、昭和20年12月22日県社格として認められたのである。 合祀された春日神社は、吐山庄が興福寺唐院領なるをもって、弘治2年吐山日向守光政の勧請で、天之児屋根命を吐山の総社として、祀ったのである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
下部神社 下部は志毛倍と訓べし○祭神詳ならず○吐山村に在す、今下宮と称す(大和志、同名所図会)、 神社覈録 |