街中の小社。祝部は古代の神官のことで、石上神宮(現天理市)神職に関係する社であろうか。祝田を屯倉とする説もある。 延暦元年(782)11月、田村後宮今木大神を從四位上に寂し(続日本紀)、延暦年中山城国葛野郡平野の地に移されて平野神社の第一殿に祀られた(一代要記)のが田村の祝田神社とする説がある。 別に祝田神社は天理市田町にあった祝田神殿を充てる説があり、天理市田町の北端、布留川の北の辺り(小字天王)にあったとする。現在は田畑が広がるだけで、祝田神殿(祝田神社)があったとする痕跡はない。 |
祝田神社 奈良交通バス別所下車、西方200m、田集落西南に鎮座する。祭神豊受大神、『大和志』に「今称天神」とあり、石灯籠の刻銘からみても元天満宮と称したことが分かる。『延喜式』神名帳の式内社と登載されている社である。 祝とは「古語辞典」に罪けがれをはなつる人、神に仕える神職で令制では神戸の中から国司が選ぶとある。「石上布留神宮略抄」に今の田町に祝田神殿があると記し、「田村郷由緒書」では田町は石上神宮祭主の居住地とある。 例祭は10月14日。 なお天理市田町字天王付近にこの社があったとの説もある。 奈良県史 |
祝田神社 祝田は波布里多と訓べし○祭神詳ならず○田部村に在す、今天神と称す、(大和志、同名所図会)、 考証云、入田村、 類社 播磨国揖保郡祝田神社 神社覈録 |