十二神社
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   【延喜式神名帳】夜都伎神社 大和国 山辺郡鎮座

   【現社名】十二神社
   【住所】奈良県天理市竹之内町865
       北緯34度34分49秒,東経135度51分10秒
   【祭神】国常立尊 国狹土尊 豊斗渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊
        大戸道尊 大戸辺尊 面足尊 惶根尊 伊弉諾尊 伊弉册尊 大日ルメ貴尊

   【例祭】 10月15日 例祭
   【社格】
   【由緒】不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】当社が本来の夜都伎神社であつたとする
        移転の記録なし

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「十二社大明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造桧皮葺
       拝殿

   【境内社】七柱神社・多賀神社社

伝承によれば、当社が本来の夜都伎神社であつた。江戸期社地を竹之内領とし竹之内の三間塚池(現十二神社の地)を乙木領とした。そのために春日神社を夜都伎神社と改名した。夜都伎神社の旧社地には十二神社を遷した。
ただし、当社を夜都伎神社と称した古記録は現在のところ見当らない。
拝殿前に神石があり、参拝の時「ワッハハ」と笑声をあげて三廻りする習俗がある。
当社の北側には地元の人が「火の谷」と呼ぶ地域がある。「夜都岐」は「八剣」が変化したものとされ、各地の八剣神社の創建譚に「日の谷」の地名がよく登場することから関連があるものとみられる。


十二神社

三間塚の北方、谷を一つへだてて乙木との境界に近く、奥深い“明神の森”に鎮座する。景勝の山麓地で、もと指定村社である。
伝えるところによれば、延喜式内社の夜都伎神社が当社で、乙木の産土神であったのを後世、竹ノ内が三間塚池と交換したという。ここから西へ、乙木にむかう一筋の参道の跡があり、しかも竹ノ内に通ずる参道が、いまも怪しげな事から、前記のことが裏付けられる。
竹ノ内の産土神が、もと白山神社であったことは、文禄4年(1595)の検地帳に『村中氏神白山神社除地』と記され、また、延宝7年(1679)本田平八郎検地の際も、同様であることからも明らかで、十二神社と三間塚池との交換は、延宝以降のことであろうが、それ以降ながく村に二社があったことから、明治41年(1908)12月1日、白山神社を十二神社の境内社・七柱神社に移し合祀した

天理市史



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