小杜神社
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   【延喜式神名帳】小社神命神社 大社皇子神 大和国 十市郡鎮座

   【現社名】小杜神社
   【住所】奈良県磯城郡田原本町多272
       北緯34度32分2秒,東経135度47分14秒
   【祭神】太朝臣万呂
       『多神宮注進状草案』瓊玉戈神命
       『五郡神社神名帳大略注解」天児屋根命

       祭神を太安麻侶とするのは後年、古事記が広く知られるようになった江戸時代以降と思われる。

   【例祭】3月12日
   【社格】旧村社
   【由緒】多神社の皇子神として祭られてきたが、沿革については不明

   【関係氏族】多氏
   【鎮座地】多神社との関連からこの地に鎮座していたと思われる

   【祭祀対象】多神社の皇子神
   【祭祀】江戸時代は「木ノ下神社」とも称していた
   【社殿】春日造
       

   【境内社】

多坐弥志理都比古神社摂社。多神社南200mに鎮座する。
昭和15年、皇紀2600年祭にあたり、県社に昇格し、本殿・境内の拡張が行なわれたが、戦後はその継持が困難となり、社地は全く荒廃し、祭神は多神社に合祀されている。但し、この処置は仮のものとして正式には登録されていない。
現在は本殿の西後方に小祠ありこれがもとの本殿である。


小社神社

田原本歴史遺産 神々を訪ねて
旧城下郡 延喜式内社多
小社神社
旧指定県社 祭神 太多安万萬呂
多座彌志理都比古神社の摂社で、享保21年(1736)「大和志」十市郡新廟の項に、「小社神命神社在多社東南今称木下社伝云 祭安麻呂」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。神名帳十市郡大社の四皇子神の一「小社神命神社」とされ、「大和志」に俗に木下社と称す。
多神社注進状に「樹森神社瓊玉戈神命」とみえる。
明治44年(1911)古事記撰上2100年祭が執行。
昭和15年(1940)皇紀2600年祭に境内整備
平成24年(2012)古事記編纂1300年祭が執り行う予定
現在、学問の神様として、崇敬されている。
多・大氏一族
祖父 太(多)菰敷 妻 渡来系百済人
父 太(多)品治  壬申の乱・大海人皇子方将軍
太(多)安万呂
平成21年度 田原本町観光協会

社頭掲示板



多遺跡

所在地:田原本町多
 多遺跡とその摂社の小杜神社を中心に、現在の飛鳥川両岸に広がる遺跡です。
 標高は約55mの沖積地で微高地上に位置します。
 拠点集落と見られていますが、大和で遺跡や遺構・遺物が増える後期の時期に、この遺跡では遺構・遺物がほとんど見つかっておらず、検討の余地があります。
 遺跡の調査が始まったのはまだ新しく、昭和47年の多神社境内の調査からです。以降、現在までに十数次の調査が行われています。確認された遺構には、環濠、溝、方形周溝状遺構、土坑墓、壺棺、柵列状のピットなどです。
 まだまだ、全体の様子は分かりませんが、多神社を含めた北側に遺跡の中心があるようです。

http://www1.mahoroba.ne.jp/~yayoikai/museum/iseki/oo.htm



小杜神命神社

小杜神は乎毛里乃加美と訓べし〇祭神明か也○多社東南に在す、今木下社と称す、(大和志、同名所図会)

神社覈録



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