多坐弥志理都比古神社摂社。多神社南200mに鎮座する。 昭和15年、皇紀2600年祭にあたり、県社に昇格し、本殿・境内の拡張が行なわれたが、戦後はその継持が困難となり、社地は全く荒廃し、祭神は多神社に合祀されている。但し、この処置は仮のものとして正式には登録されていない。 現在は本殿の西後方に小祠ありこれがもとの本殿である。 |
小社神社 田原本歴史遺産 神々を訪ねて 旧城下郡 延喜式内社多 小社神社 旧指定県社 祭神 太多安万萬呂 多座彌志理都比古神社の摂社で、享保21年(1736)「大和志」十市郡新廟の項に、「小社神命神社在多社東南今称木下社伝云 祭安麻呂」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。神名帳十市郡大社の四皇子神の一「小社神命神社」とされ、「大和志」に俗に木下社と称す。 多神社注進状に「樹森神社瓊玉戈神命」とみえる。 明治44年(1911)古事記撰上2100年祭が執行。 昭和15年(1940)皇紀2600年祭に境内整備 平成24年(2012)古事記編纂1300年祭が執り行う予定 現在、学問の神様として、崇敬されている。 多・大氏一族 祖父 太(多)菰敷 妻 渡来系百済人 父 太(多)品治 壬申の乱・大海人皇子方将軍 太(多)安万呂 平成21年度 田原本町観光協会 社頭掲示板 |
多遺跡 所在地:田原本町多 多遺跡とその摂社の小杜神社を中心に、現在の飛鳥川両岸に広がる遺跡です。 標高は約55mの沖積地で微高地上に位置します。 拠点集落と見られていますが、大和で遺跡や遺構・遺物が増える後期の時期に、この遺跡では遺構・遺物がほとんど見つかっておらず、検討の余地があります。 遺跡の調査が始まったのはまだ新しく、昭和47年の多神社境内の調査からです。以降、現在までに十数次の調査が行われています。確認された遺構には、環濠、溝、方形周溝状遺構、土坑墓、壺棺、柵列状のピットなどです。 まだまだ、全体の様子は分かりませんが、多神社を含めた北側に遺跡の中心があるようです。 http://www1.mahoroba.ne.jp/~yayoikai/museum/iseki/oo.htm |
小杜神命神社 小杜神は乎毛里乃加美と訓べし〇祭神明か也○多社東南に在す、今木下社と称す、(大和志、同名所図会) 神社覈録 |