姫皇子命神社
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   【延喜式神名帳】姫皇子命神社 大社皇子神 大和国 十市郡鎮座

   【現社名】姫皇子命神社
   【住所】奈良県磯城郡田原本町多459
       北緯34度32分7秒,東経135度47分20秒
   【祭神】姫皇子命
   【例祭】10月12日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】不詳

   【関係氏族】多氏
   【鎮座地】移転の記録はなく多神社との関係から当初よりこの地に鎮座と思われる

   【祭祀対象】姫皇子
   【祭祀】
   【社殿】本殿春日造
       拝殿・祀詞舎

   【境内社】

多坐弥志理都比古神社摂社。多神社の東200m多集落の西に鎮座する。
当社は多集落の直接の氏神とされている。「多神宮注進状」は祭神を天照大神の若魂の別称とする。手入れの行き届いた神社であり、多神社から当社への田の中の道は白砂が散かれている。
集落を越えて、三輪山に昇る朝日が直射(タダサ)す位置関係(三輪山と向かいあっている)にあることからか、宮中を出たアマテラスが最初に祀られた旧笠縫邑を当社に比定する説もある。
かつて当社の北方には、元伊勢の笠縫邑跡があり、この辺りはその昔、天照大神を崇め奉る巫女の集落だったと伝えられる。


姫皇子命神社

田原本歴史遺産 神々を訪ねて
延喜式内社 旧城下郡多
姫皇子命神社
旧村社 祭神 多姫皇子命
多座弥志理都比占神社の摂社で、「大和志」十市郡新廟の項に「姫皇子命神社 在多社東今称鎮守」と比定され、延長5年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。
神名帳十市郡大社の四皇子神の一「姫皇子命神社」とされ、「大和志」に俗に鎮守と称し、現在大字多の氏神である。
「五郡神社記」は本社二座と四皇子神を意富六所神社ともいった。
多の歴史
弥生時代前期〜古墳時代 多遺跡
飛鳥時代 百済系渡来人多く住む(団栗山古墳)
       太子道が多集落の西側を通る
奈良時代 下ツ道が多集落の東側を通る
平安時代 中期 「和名抄」の十市郡飫富郷比定
  〃    〃  延喜式神名帳に4社記載
延久2年(1070)興福寺雑役免帳「太庄四町」
承和3年(1347)興福寺段銭段米帳に「多郷九町三反」
江戸時代〜明治22年 十市郡多村
明治22年〜昭和31年 磯城郡多村
平成21年度 田原本町観光協会

社頭掲示板



姫皇子命神社

近鉄橿原線笠縫駅南西800m、多集落の西に鎮座する。多坐弥志理都比古神社の境外摂社で、本社の東にある。祭神は姫皇子命。『大和志』には式内社として「今称鎮守」とある。『延喜式』神名帳には十市郡の項に式内社として登載されている。例祭は10月12日。古来多坐弥志理都神社の四皇子神の一社といわれている。

奈良県史



姫皇子命神社

姫皇子は比女美古と訓べし〇神號詳ならず〇多社東に在す、今鎮守と称す、(大和志、同名所図会)、

神社覈録



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